ハードマンあるいは

スーヴェニア -私たちが愛した時間、後に-のハードマンあるいはのネタバレレビュー・内容・結末

2.5

このレビューはネタバレを含みます

前作が好きだったので、続編の本作も見たいなーとずっと思っていて、ついにNetflixに追加されたので待望の視聴。

が、思っていたのとは違った。

前作の最後、最愛の人の死を乗り越えたような描き方だったので、今回はそれをバネにバリバリ映画を撮るのかと思いきや、初っ端から明らかに主人公も自分の両親も相手の両親もその死を引きずっていて(当たり前といえば当たり前だが)、前作の「重い話なのになぜか軽やか」という奇妙な良さがなくなっている。

前作にも出ていた、リチャード・アイオアディ演じる映画学校の先輩?も、偉そうなことを言う割には常にヒステリックな指示しかできない人で、主人公に有益なアドバイスをしてくれるわけでもなく、この映画における存在意義がいまいちわからない(半自伝らしいので、そういう先輩が実際にいたのだろうか)

リチャード・アイオアディはコメディアンで自身でも映画を監督しているので、それを踏まえたキャスティングなのかな〜と勝手に期待していたのが間違いだったのかも。

最後のメタな終わり方は、この作品が半自伝であると知らなければ、おぉ〜となったかもしれないけど、知っていたので、ああ〜うん、という感じだった。

結論:映画制作はお金がかかるので、親が金持ちだと助かる。