DJあおやま

花束みたいな恋をしたのDJあおやまのレビュー・感想・評価

花束みたいな恋をした(2021年製作の映画)
4.3
冒頭、イヤホンを分け合うカップルやバターの付いた面から落ちるトーストの話から、坂元裕二イズムを感じて胸を躍らせていたら、その後繰り広げられる怒涛のサブカル固有名詞の羅列に少しの気恥ずかしさを感じながらも、心はずっと弾んでいた。主人公たちのような人(自分も含めて)は、他人と違うことがアイデンティティーではあるが、だからこそあまりに共通点の多い人には運命を感じてしまう。カラオケで大音量で流れるヒットソングのノイズっぷりがそれを演出している。運命的に出会ったその人と、今読んでいる文庫本を交換してあれやこれや語り、お互いの好きなものを照らし合わせていく感じ、たまらない。ただ、チケットの取っていたライブを忘れたり、映画の半券をしおり代わりにしたりするのは、個人的にはズボラという印象を抱いてしまう。なにはともあれ、これまで少しでもサブカルを通ってきた人には、垂涎ものの、もはや神話のようなプロローグだった。きのこ帝国の『クロノスタシス』の掛け合いなんて最高。『ショーシャンクの空に』を薦める自称映画マニアを横目に、押井守との遭遇に沸くシーンは尊さすら感じた。
ただ、美しい恋愛物語も、就活やお金といった現実の前に脆く崩れていく。恋愛時代の終わりのはじまりは、就活という学生が社会へ迎合するための儀式とともにやってくる。2人がともに生きるため、現状維持するために選んだ選択肢が、2人の関係を狂わせていく儚さ。2人の間に金銭感覚のずれはなかったと思うが、お金に対する漠然とした考え方は違ったのではないか。両親ともに広告代理店に勤めるエリート家庭で育った絹に対して、麦は新潟の片田舎で職人家系に生まれた。常にどこかお金に対する不安が麦にはあったのだと思う。だからこそ、麦はどれだけ辛くてもそれを当たり前だとして、心を犠牲にしながら労働に打ち込んだ。かたやこれまで通り趣味を謳歌し、簡単に仕事を投げ出してしまえる絹をどこか疎ましく思っていたのかもしれない。これまで楽しみに読んでいた漫画に手が伸びず、スマホゲームばかりやってしまうのは、胸が痛くなるほど共感した。どちらもなんら間違っていないからこそ、歯痒い。
この映画は難しいことはなく、ただ男女のすれ違いを描いた普遍的なラブストーリー。歪に積み上げられたジェンガは、倒れないようにするのがやっとで、どれだけ上手く積んでももう安定することはない。不用意に言葉を重ねるたびに、思ってもいない意味でばかり相手に伝わって、関係がどんどん不安定になっていく。そんな緊張感ともどかしさ。なにも悲劇的に描かれることなく、淡々と2人の距離が遠ざかっていくのが見ていて辛かった。
そして、まるでかつての2人を見ているかのような、ファミレスの若い男女という完璧なシークエンス。そして、あの美しいラスト。楽しい思い出として胸に仕舞われたあの恋愛の足跡が、たしかにストリートビューに刻まれている。ハッピーエンドかどうかはさておき、たしかにハッピーだった“あの頃”の存在で生きていける。恋愛の憧れと現実を描いた、新たな恋愛映画のスタンダードと呼べる名作だった。観終わった後、映画館を去る若い女性が、ベラベラと自身の恋愛の思い出を語っていたのを聴けたところまでが、この映画だった。
DJあおやま

DJあおやま