Torichock

花束みたいな恋をしたのTorichockのレビュー・感想・評価

花束みたいな恋をした(2021年製作の映画)
4.9
「花束みたいな恋をした」

一つ一つの小さな一輪の花を摘んでいて、それ単体ではなんの変哲もない当たり前のものなのに、時を重ねていくにつれて、その一つ一つは確かな重みを積んでいることに気づく。
当たり前のように増えていく花の積み重ねは、その少しずつの変化のあまり気づけないのだけど、いつかその花束を誰かに渡そうとした時に、
「こんなに持っていたんだな」って気づくのかもしれない。
実際の体積の重さなんかじゃなくて、一輪一輪の色や花を重ねてきた時間がその花束になるかのように。

そういえばそうだった。
誰かといるってことは、それはかけがえのないものそれしかない。
だけどかけがえのないそれらは、毎日の生活の中に存在している。
ドラマチックなことなんてそんなにおきやしない、おきやしない。
だけど、思い返すと何故だろう?ドラマはずっと続いていたかのうように思えないかな?

そもそも恋愛なんて破綻してると個人的には思う。
違う人間同士が、「好き」っていう超個人的な想いのみで通い合って、それぞれの人生に干渉し合いながら時間を共にするんだから。
それでも僕たちが、人を愛することをやめられないのはなぜなんだろう。
もしかしたら、だれもが自分には何かが足りないと感じていて、そこを補完し合えるからなのかな?
恋愛ってまるで、願っていたことを少しずつ満たされていくのに、その願い自体から少しずつ離れていくような、、、そんな感覚。

自分を築いてくれたものから、少しずつ離れていってしまう感覚。
自分が好きだったものが息抜きのものではなくなって、ただただ消化しやすいものになっていって、過去と思い出に変わっていく。

早くて、捨てやすくて、結果がすぐ出る終わりやすいものへの変化。。。
物語の過程を楽しむはずの小説は、結果至上主義のビジネス書に。
ゆっくりと攻略を進めていくゼルダは、どこでも気軽に楽しめるパズドラに。
2時間弱のキチンと(そうでないものもあるけど)作られた映画は、10分ちょっとのyoutubeに。
魂すり減らして作ったはずのアルバムは、サブスクで選んだ曲だけダウンロードに。

時間がないんだ。
時間があればきっと、もっと僕たちは一輪一輪の花をしっかりと愛でることができるんだ。
「〜しなければいけない」という感覚に押されてしまい、「〜しなくてもいい」という感覚を追いやってしまう。
二人を割いたものは、もしかしたらこの世界に媚びりついた、早すぎて効率をもっとも重視された時間なのかな?なんて思う。

出会ってから飲み屋〜カラオケ〜麦の部屋って、どんだけ夜長いんだよ!って思ったけど、違ったんだよね。
あの頃はきっと、ゆっくりと時間が流れていたんだと思う。

本当に二人の男女を丁寧に丁寧に描いていて、この映画の真摯な姿勢を感じた。

寝取るような恋のライバルは出て来ない。
重い病とか事故に遭わない、記憶喪失もない。
どちらかが金持ちで、どちらかが貧乏でもない。
クソみたいなSNSも出て来ない。
ソフトフォーカスの柔らかい光・行定ライトも、音が消えてスーパースロー演出も、せいぜい食パン落とすところだけ。
そして、オダギリジョーはただのオダギリジョー。

「恋愛物語」を盛り上げるための外的要因が、あくまで二人のアクションと言葉と心だった。
だからこそ、この作品はきっと観た人たちにとってとても距離が近かったんじゃないかって。

今回はうまくまとめられないな。。。

でも、電車は「乗る」のではなくて、「揺られる」ものだよ〜!って。
ねぇ本当にそういうところなんだよ、大切なことってそういうところなんだって。

自分が今、花束を持っているってことを感じるために、ゆっくりとした時間を過ごしたいってそう思う。
村上春樹のアフターダークでも言ってた。

「ゆっくり歩いて、たくさん水を飲むんだ」と。
映画を観た後おうちに帰って、パートナーがうたた寝をしている隣で、そっと手を添えて幸せなんだなって泣いた。
僕、結婚します。

どんなに世の中が急かしても、僕たちはいまゆっくりと人生を生きているんだ、花束を持ってね。

2021のベストです。
Torichock

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