このレビューはネタバレを含みます
無駄が削ぎ落とされた演出と深みのある表現が凄い。
これが演技ですって感じ。
説明っぽいセリフがほとんどなくて、分かりやすい派手な狼狽とか泣きが無い。
「観客たちはこれくらいついてこれるでしょう」感。
説明が無いから、部屋の小道具やファッションや所作で人物を掘り下げつつ見たのはわりと初めてに近いかも。
なんか主人公一果は少年のアビスに通ずる「何か」を感じるんだよな〜。
自ら母親を見捨てられないとか、「世界で踊りたい」って言いながら凪沙が息を引き取ったら入水自殺しようとするとか。
自分を愛してくれる対象に対する愛情のお返しが「相手の自分像に従う」ことなのかなぁ、多分。
それが心からの行動なんだろうけど高負荷なストレスではあって、自傷行為が出ちゃう、みたいな。
リンが好いて応援してくれたから(自傷行為をするほど)本当はやりたくないバレエの大会にも出るけどリンが居なくなったら踊れなくなっちゃうし、
母親の愛に応える為に地元に戻るけど自傷行為は続いてるし。
ただ、与えられる愛情を享受したいと思った人は凪沙だったんだろうなぁ。
凪沙と過ごしてる時間は(暴力沙汰を除いて)自傷行為が出てないし、凪沙の元に行くために渋々中学卒業までは地元にいるし、地元でもバレエを続けてるし。
おそらくスカラシップで比較的短期間で出国するだろうに、わざわざ凪沙の元を訪れたのは「地元の小さな街から出られる方法(努力?)を教えてくれてありがとう、おかげで地元から出られたよ、自分の力で出られるほど強くなったよ」って伝えるためだったと思われるし、巣立ちの儀式的な。
ミッドナイトスワンの意味ってなんだろうなぁ〜って思いながら見てたんだけど、
オデット
=夜の間は美しい人間の姿だが、朝になると白鳥に変わってしまう呪いがかけられている娘。
=一果の人生の苦しい時間に寄り添い、明るい未来が開けたとたんに息を引き取る凪沙
凪沙=セクシャルマイノリティに対する周りの理解や自分の立ち位置を自身に落とし込めず、自分の母性を認めたくない(男を捨てきれない描写が冒頭の女ホル投与医院やソープで出てる)、自分自身に解けない呪いをかけている。※母性については一果によって克服
一果の人生の夜の時間に現れ、性適合手術で人生をかけた覚悟と愛情を示す美しい人間性を持っているが、人生の夜明けと共に消えた凪沙=一果から見たミッドナイトスワン
なんじゃないかぁ。
もしかしたら、リンもそうかもしれない。
凪沙も母親も、誰もかしこも他責的っていうか恩着せがましいというか、「それは愛なのか?」とは思ったけど多分、監督の中では愛の形のひとつ、っていう位置づけなんだろうなぁ…