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ブラックアダムの都部のレビュー・感想・評価

ブラックアダム(2022年製作の映画)
3.3
昨今 内部事情が混迷を極めるDCEUの11作目に位置する本作──怒りの行き場を失った復讐鬼:ブラックアダムにドウェイン・ジョンソンを迎えたことで、荒々しい力の化身としての人物設定の説得力は充分。彼が暴れ回る姿は単純明快かつ痛快無比で、作品の顔としては申し分なく機能しているので作品としての最低限のクオリティには達している印象です。

シャザムと同じルーツを帯びたダークヒーローとして対比的な人物設定も目を引きますが、しかし彼が厚みのあるキャラクターであったかと言われるとこの点は素直には頷けません。

これは作品の構成として対立するJSAのキャラクターに同程度のスポットライトが当たるからであり、その尺の配分の煽りを受けてブラックアダム当人の造形自体は極めてシンプルな物だからです。ですからブラックアダムに対する愛着は俳優依存の側面も否定出来ず、主人公に対する没入的な目線は得られなかったかなと。対象的にJSAのキャラクターに愛着を持たせることには成功しており、特にルックとキャラクター共に魅力的なドクター・フェイトに関しては主役を食わんばかりの活躍を見せるため、恐らくこの劇場版限りのキャラクターというのは惜しいですね……。

4人のJSAメンバーがそれぞれブロマンス/ラブロマンスを繰り広げるので表面的には華やかな関係性であるように思えますが、その片方の関係性に物を言えばそれまでの積み重ねが全く存在しない新キャラの話にも関わらず、語られない過去を匂わせる言動が節々に見られるのは往生際が悪く映るので個人的にはノイズ(魅力的だからこそ表面的な描写に終始しているのが際立って悪目立ちしている)。

そうしたメインキャラクターの魅力の話をすれば悪くはないのですが、脇を固めるキャラクターの舞台装置的/非魅力的な人物設計は褒められたものではなく、特定のヴィランは重要な設定を口頭でサラリと消化する為に作品としての全体のバランスは緩んでおり、主軸の進行に関わる部分がさして盛り上がらないのは気になりました──強いて言えば遊びの部分であるブラックアダムとJSAの小競り合いと比較すると、物語に対する推進力が明確に弱い。

作品の核である善と悪の二元論では語れない大衆が望む正義を鑑みた結末は、ブラックアダムのルーツを思えば納得の着地点で収まるべき所に話が収まるオチの気持ちよさは一応 保証されているという印象でした。

ポストクレジットにオマケ映像がありますが、最近のDCEUの内部事情を思うと喜ぶに喜べない幕引きですね……。本作画単独作としての作りがある程度固まっていただけに尻切れ蜻蛉感は否めません。
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