ぎゅう

星の子のぎゅうのネタバレレビュー・内容・結末

星の子(2020年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

終わりがすっきりしなくて、もっと詳細を知りたいと映画を観終わった足で原作を買いました。
原作を読んで改めて、最後のシーンでとっても泣けた。

映画では、ちひろと両親は最後、流れ星、見えたんだっけ。。。

なんだかそこが救いのような気がして、映画では見えていたらいいなと思いながら、映画でもやっぱり見える前に終わっていたなと思いました。

このシーンがただただ泣けたのは、ちひろによりそうお母さんとお父さんがとてもあたたかくて、こんな風に両親と寄り添って星空を見上げたことなんてそういえばないなと思った時に、ちひろの両親の温かさがとてもうらやましくて、一方で宗教に盲目的に傾倒している事実の悲しさが合わさったからだと思う。

「星々の郷」のシーンでは、やる気や使命に満ち溢れた人たちの宣言を聞いていると、何も信仰せず、生きる目的もなくだらだらと日々過ごしている人たちに比べれば、ここにいる人たちのほうがよっぽど健全で有意義なんじゃないかと思えてくる。

とあるラジオで文化人類学者の人が、人は昔から物語が好きだった。神話を持たない民族はいない。ということを話していて、宗教もいわば物語のようなものだし、何かを信じることや、一致団結したりすることで生まれる社会性ってとても人間的で健全なことなのではとも思う。

アメリカ先住民のプエブロ族の長老たちは、自分たちの祈りの力によって太陽の運行を支えていると信じているそうだが、彼らが品格が高いのは自分たちの存在意義を見出しているからで、その信じているもの自体が真実かどうかではなく、結局幸福は、自分の心の持ちようだということなのであれば、なおさら新興宗教に対しても何が正しいのか善悪があいまいになってくると思えた。

全員ほんとにうまくて、それぞれの役にあっていたけれど、特に、高良健吾のカイロさんと黒木華のショウコさんがとても神秘的でいい味をだしてました。


一部中略かつ原作の抜粋ですが、カイロさんとショウコさんと子供たちのこの会話のシーンが好き

「絶対ほしの子開かないし」
「春ちゃんがここにくるのは、春ちゃんの意思とは関係ないわ」
「春ちゃんは受け取ったメッセージに従ってるだけ。もちろん本人は従ってるなんて思ってないでしょうけど。」
「すべては宇宙の意のままに」
「・・・たしかに春ちゃんは肉体の目しか使っていない」
「だけど彼女なりにみようとしてるわ」
「見ようとしてる。見えるわけもないのに」
「彼女の意思では」
「そう、彼女の意思では」
「何もみることはできないし、どこへもゆくことができない。」
「だけど彼女は変わるわ」
「しゃべるだけじゃない。歌っておどるし空も飛べるようになる」
「気づくときがくるの。気づいた人から変わってゆくの」
「だけどそれは春ちゃんの意思じゃない」
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