ここにきて急にポケモン。久しぶりにポケモンの劇場版を観た。
かつて、仕事的にこの作品には縁があったことがあってビジュアルはよく見てたな、、、懐かしい、色々大変だったっけな。
ココ、上白石萌歌。
ザルード、中村勘九郎。
カレン、中川翔子。
良いね、良い。
上白石萌歌、ニコニコ楽しそうにしながら収録してそうな様子が思い浮かぶ。
群れで生息するポケモン、ザルードが人間の赤ちゃんを拾い、“ココ”と名付ける。
そして、“ココ”を育てることを決意し、群を抜け出すことに、、、ザルードとココの種を超えた親子の物語が始まる。
何年か経ち、ここも成長してきた頃、いつメンのサトシとピカチュウがこの森に訪れ、彼らと出会う。
ココにできた“最初の人間の友達”。
今まで自分がザルードの子供でポケモンであることを信じて疑わなっからココが、サトシ達と触れ合うことで疑念を持ち始める、、、「自分はニンゲンなのか?」と。
今まであまり気にしてこなかったけど、群れで生息して喋れるポケモン。
このポケモンは“ザルード”なわけだけど、ザルード同士で会話する時にちょっと困りそうだな、みんな“ザルード”だから、呼び方とか、誰が誰の話を誰にしているのか、とか。
その辺を“お前”とか“あいつ”とか、うまいことやってるんだな、どこかで不自然になりそうなのに。
でも、よく考えたらみんな“ザルード”の中で“ココ”と名付けられた子供がいたら、それはもう別の種だということ確定してないか、、、そういうのは野暮なのか、ポケモンの世界観、まだまだ勉強が足りない。
ポケモンに育てられたニンゲン。
自分はポケモンだと思っていたニンゲン。
ニンゲンと出会い、ニンゲンを知る。
ココから映る人間の世界とか、明らかに見た目はニンゲンなのにポケモンとして生きてるココの様子とか。
ポケモンにも人間にも分け隔てなく付き合うサトシとココとの間に芽生える友情と、この出会いによって生まれるココの葛藤やザルードとの親子の絆の変化、、、。
『ターザン』『ジャングルブック』『猿の惑星』『もののけ姫』、この辺もこれと近い題材だが、この題材が伝えてくるメッセージは万国共通に伝わってくる気がする。
同じ地球の上に異なる種が生きているということによって生まれる摩擦や背景。
人間の飽くなきあれこれがその摩擦を引き起こしているのかもしれないという警笛。
その狭間で揺れ動くココの心。
自分の種と、育ってきた環境、本当の自分とは何か、どこの目線で、どこに対して、どこ向けば良いのか。
ココと、それにとにかくお節介に寄り添うサトシ。
その彼らの絆や葛藤に、さらに“治癒の泉”問題が入ってくる展開。
第3の勢力が入ってくることで他の2つのベクトルの向きが揃っていくパターン。
そして、そこから見出されるココの存在意義。
なるほど、これはめちゃくちゃ王道でエモい。
これはポケモンファンじゃなくても楽しめる、『ココ』、良いね。上白石萌歌、良いね。
山ちゃん、良いね、“全てはサイコー”、あ、そっちじゃないか。
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