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三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実のkayupanのレビュー・感想・評価

5.0
右翼対左翼、三島由紀夫対東大全共闘は、本質的には対立などしていなく、親アメリカの屈折した日本を共通の敵としていた。「vs」という表現に、政治性の商品化をする消費社会の強かさを感じる。三島由紀夫は全共闘の唯物論的、瞬間的な虚無性に対し、体制の持続、固有名どうしの関係性を強調する。それは、学生運動が一過性のものであること、システムとしては何も残さなかったことを、相手の言葉を遮らず拒否しない三島の優しい言葉が、その後の歴史をアクチュアルに表現していた。三島の言う「天皇」は、天皇制そのものではなく、戦前教育を過ごした青年の、死ぬはずだったが生き残った者としての個人にどう折り合いをつけるか、その回答としての国民の拠り所、中心としての概念だった。認識よりも行動。行動としての暴力は非合法でしかあり得ず、警察に捕まるくらいなら自決する、と発言したとおりに三島はこの世を去った。言い訳的に当時を振り返る全共闘は、予備校講師、地方公務員、アングラ俳優として生き残った。哲学⇄芸術性⇄政治性の凝縮と連関。社会システムに迎合する、国家の内の存在としての個人。伝染病で緊急事態、例外状態が行政権として発動する現在に響く問題系ではないだろうか。
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