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三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実のyuumのレビュー・感想・評価

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東京大学駒場キャンパス900番教室での討論を受けて立つ、という建前で最高学府のボーイズグループからクーデターに賛同する同志を三島はリクルートしに来ていたと考察する、本映像にも登場する内田樹。

"三島は、全共闘の学生たちのうちには、「徹底的な論理性」と「民族的心性の非論理性・非合理性」を併せ持った「革命戦士」が10人、せめて5人はいるのではないか、そう思ったのである。そして、そのselected few に向かって三島は語りかけた。だから、この時の三島の目標は「この人となら一緒に死んでもいい」という欲望を学生たちの間にかき立てることだった。千人の「敵」の前に、鷹揚として、笑顔を絶やさず、胆力とユーモアと、深い包容力を持つ政治的カリスマとして登場すること、それが三島の駒場での一世一代のミッションだった。そういう仮説に基づいて観るとまことに味わい深い一作である。" ー内田樹の研究室 http://blog.tatsuru.com/2020/03/09_1610.html

三島の本当の目的がなんであったにせよ、右派左派を問わず、例え理想主義者たちの儚い妄想だったとしても自身の信念を恐れず言葉にできる当時の学生たちが眩く見えて仕方なかった。ちっぽけな個人であっても、誰かの1票が・一声が集まれば大きな力となり政治や社会を動かせるのだと、この半世紀前の三島由紀夫と全共闘1000人の討論会は私たちに思い出させてくれるのだ。

内田氏がのちにbusiness insiderのインタビューでも討論会を振り返ってアクティヴィズムについて語っている:

「『政治的』にふるまうというのは、自分ひとりの言葉や行動が世の中を変えるかもしれないという、一種の「妄想」に取り憑かれることです。個人の生き方と国のあり方の間に相関があるという確信がなければ、人は政治的にふるまうことはできません。

現代の日本の若者たちは、自分が何を言っても、何をしても、世の中はまったく変わらないという無力感に蝕まれている。これは事実ではありません。主観的な「思い込み」です。

皆が投票しなければ、組織票を持っている人たちが永遠に勝ち続けることになる。自分の声は政治に反映されない。その積み重ねは、やがて自分が世界に影響を与えられないという「無力感」につながる」

政治信条は違えど国を想う気持ちは同じ、魂の戦士たちに敬意を表したい。
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