このレビューはネタバレを含みます
室蘭を舞台にした連作短編で、それぞれに独立したエピソードだが、どこかで人と人は繋がっている。
冬の章「青いロウソクと人魚」は水族館でクラゲの世話をする裕紀と、室蘭を離れることになった映子と霧の親子の物語。
「クラゲは死んだら綺麗な水になる」
海が汚れたから引っ越すことになったと母親に言われた霧少年は、水族館から勝手に持ち出したクラゲをぐちゃぐちゃにかき混ぜて海に流す。
映子も小瓶に入れた手紙を海に流すが、潮の流れで戻ってきてしまい、裕紀の手に渡る。
映子は「この町にいると『赤い蝋燭と人魚』の物語を思い出す」と言う。
人間の生活に憧れた人魚が老夫婦の元で蝋燭を作って幸せに暮らしていたが、人間の欲深さの故に売られそうになり、悲しみに暮れながら海に帰っていくというお話。
その後、人魚が暮らした町は廃れてしまったという。
「私は青いロウソクを残して行きたくて」
全部のエピソードに通じるのだが、少しずつ廃れていく町の姿がひとつのテーマになっているのかもしれない。
水槽の中で泳ぐバレリーナの姿など、幻想的でどこか掴み所のないエピソードだった。
春の章「名残りの花」は個人的に一番綺麗で素敵な物語だと思った。
写真館を営んでいた小林幹夫はある日発作で倒れて意識不明になってしまう。
彼が倒れているのを発見したのは、隣家でロウソク屋を営む映子だった。
映子から父が倒れた報せを聞いて息子の真太がやって来る。
彼は写真館に保存されていた未引き取りの写真を、依頼主を探して一枚ずつ渡すことにする。
様々な町の記憶が呼び起こされるが、既に亡くなってしまった者も多い。
このエピソードはちょっとだけミステリーの要素もあるのだが、それは毎年桜の季節になると幹夫に記念写真を依頼する蕗子さんという人物の存在だ。
真太は過去何年にも渡る蕗子さんと書かれた誰も写っていない記念写真を写真館で見つけている。
しかし映子は蕗子さんの姿を見ている。そして蕗子さんは幹夫が倒れたことを知らずに写真館を訪ねて来る。
写真は映子が撮ることを引き受ける。一本の見事な桜の木がある草原で、蕗子さんは記念写真を撮ってもらう。
ふと一陣の風が吹き、病室で薄く目を開けた幹夫は僅かに微笑む。
歌声に乗せて彼の過去が映し出される。
場面が戻ると草原の中に映子と真太と桜の木の姿はあるが、蕗子さんはどこにもいなかった。不思議な余韻があり、年は取ってもかくしゃくとした蕗子役の香川京子と、幹夫役の大杉漣の存在感が素晴らしかった。
夏の章「しずかな空」は危険区域に指定されているため市営住宅への移住を勧める市役所職員麻里と、頑なにそれを拒む野崎芳郎の場面から始まる。彼には認知症の妻美津子がいた。美津子は元教師でありピアノを弾くのが得意だった。何故芳郎が毎日海を見るために港へ美津子を連れていくのか、そして移住することを拒むのかは徐々に明らかになっていく。
麻里の夫圭一は美津子の元教え子であり、豪華客船の歓迎会の出し物として彼が指導する児童合唱団が選ばれる。
芳郎はプロポーズの時に船に乗って旅行に行く約束を美津子にしていた。しかしそれが果たされることのないまま美津子は病気になってしまった。
だから彼女の心は船に乗る前のまま止まっている。
「行きたい時に行かないで、言いたい時に言わないで、会いたい時に会わないでなにが素敵か!」
麻里は圭一に美津子に会うように約束させる。
そして合唱団の出し物として美津子が作った「静かな空」という曲を使うことにする。
小松政夫演じる芳郎の献身的な姿が印象に残るエピソードだった。
晩夏の章「Via Dolorosa」は最も短いエピソードで、ある女性がピアノを粗大ごみ回収業者に海に捨てるよう依頼する物語だ。
これも後のエピソードへと繋がっていく。
秋の章「名前のない小さな木」は自分がそこにいる意味を見つけ出そうとする少女の物語。桃子も母親の再婚により室蘭の町を離れることが決まっている。
父親は桃子が幼い時に亡くなってしまった。父との思い出は学校の遠足で科学館を訪れたことだ。父はさくらんぼの種を科学館の庭に埋めていた。あの種は芽を出したのだろうか。
科学館に置かれたSLはもう動くことはないが、それでも過去の記憶を内在したままそこに存在している。
父は死んでしまったが、彼の埋めたさくらんぼの種は小さな木になって育っていた。
晩秋の章「煙の追憶」では、科学館のシンボルだったSLが、科学館の移設により解体されることが決まってしまう。
さくらんぼの木も庭に踏み行った業者によって潰されてしまう。
時代は少しずつ変わっていく。それを見届けるしか出来ないこともある。
最後の初冬の章「冬の虫と夏の草」は、この映画が伝えようとするメッセージ性が一番強く表れているエピソードだと思った。
桃子の母親で介護士をしている七海は、河村という老人の家で冬虫夏草を見つける。
これから成虫になる寸前で、キノコによって命を止められてしまったセミの姿を七海は可哀想だと河村に言う。
しかし河村はそうは思っていなかった。
どうせ成虫になっても短い命。これからはキノコとして長く生きていこうとしているのだ。
「セミとしてはいなくなったように見えるけど、いるんだよ」
セミの本当の気持ちは分からないが、伝えたい言葉は分かるような気がした。
このエピソードでは蕗子さんの秘密が少しだけ明らかになる場面もある。
全体的には印象に残るシーンが多く、長く余韻が残る作品だとは思った。しかしやはりひとつひとつのエピソードが長すぎると思った。
観る人に色々と解釈が委ねられている作品だが、映像としてのインパクトは強いのだが、物語としては今一つはまらないところがあった。
素人の役者も多数参加しているとのことだが、もう少し風景に溶け込ませることが出来れば良かったか。
個人的に最後のエピソードはモノクロがあっていたけれど、それ以外は室蘭の景色をもっと綺麗な映像で楽しみたいとも思った。