くりふ

モールスのくりふのレビュー・感想・評価

モールス(2010年製作の映画)
4.0
【ジュブナイル・ノワール】

冒頭、社名ロゴの一つに驚き…ハマーフィルム!? 漸く、映画制作も再起動ですか。熱狂的ファンではないですが、これは素直に嬉しい。

では本作は『魔人ドラキュラ』に対する『吸血鬼ドラキュラ』的位置づけかな…みたいな思い込みがすぐ醸されて、なら大改変してもいいじゃん! 的ユルイ心境で臨むことになりました(笑)。

この気分のせいってだけでは勿論ないのですが、なかなかよかったです。アメリカ映画らしきアレンジとわかり易さ。技あり、だと思った。

オリジナルより、型が捉え易く、スタイリッシュになりましたね。比べると行間の深みが薄まっていること、またクロレッツ演じるアビー、あの無敵感高まる「腹ペコ形態」の造形が過剰だったのが、ちと残念でしたが。

そんな全体像の上で思ったのは、これ、ノワールじゃん、てことです。謎めくが強靭なファム・ファタールに囚われ、逸脱してゆく男の物語(笑)。

男は少女みたいな12歳ですが、彼の過酷さを思えばそう言ってよいかなと。老いた「父」が背負う歴史と言動も、横からそうだと囁くのです(笑)。

で、子供らしく泣きの入った揺らぎと、ノワールとしての硬質な冷やかさ、その間をたゆたう奇妙な振幅が、本作の大きな魅力かと思います。

舞台を1983年とし、レーガンの「悪の帝国」演説を冒頭に持ってくることで、世界の枠をわかり易くしてますね。悪は内よりも外にあり…から始めてる。

主人公オーウェンと苛めっ子の関係から、後の、彼とアビーとの関係へ。オーウェンにとって、悪の在り処はどこにあり、どこにゆくのか…。

『LET ME IN』のタイトルは、やっぱり本作でも、ちゃんと効いていますね。しかしオーウェン君、自分の内なる悪は、どれだけ自覚できたんだろう?演じるコディ君の無垢が怖い。現実に染まるより逸脱へと導く危うい無垢。

逆にクロレッツちゃんは、すくすく育ってる健全感がちょっと、興ざめ。「腹ペコ形態」の強靭さもあり、アビーは独りでもやってけそうに思った。でもアビーが強くなったから、より純愛やってる余裕も出たのでしょうが。

「父」は少し格好よくなりましたね。故・村崎百郎みたいなマスクが渋い!都市伝説から抜け出たような仕事ぶりもいい。消えないヒッチハイカー(笑)。でも気になったこと。彼の年齢考えると、子供の時アレ撮る機械あったのか?

警官を個人としてより立てたのも効いてました。語りの推進力が強まったし、オーウェンとの関係に意味が出てきていて。12歳の子供にとっては、警官は社会そのもの、少なくとも社会への窓だったろうと思うのです。なのにオーウェンは最後、内と外を分かつ扉を使い、警官に何をしたのか?これ、オリジナルよりずっとシビアな結末だと思います。ノワールだ(笑)。

音楽は、ジュブナイル部担当のピアノ曲も繊細でよかったですが、ドラムと弦楽の軋みによる、ホラー部担当曲がどこか古風で面白かった。なんとなく、ハマーっぽい気がしました。で、これオーウェン視点だと、苛めと怪異のシーンで同じ曲が流れることに、納得してしまうのでした。

挿入歌は「レッツ・ダンス」がやたらと流れてましたが、1983年といえば、ボウイが『ハンガー』でヴァンパイア化した年なので、必須なのでしょう。カルチャークラブには『クライング・ゲーム』の主題歌と同じ意味を込めた?と思ったのに…アビーの正体を明示しないもんだから、肩透かしでした…。

でもフードで髪を隠し、地味メイクで登場するアビーは少年のようで、その後、オーウェンの望みで少女に「擬態」したように見えなくもないし、オーウェンは始終、少女のようです(若い頃のウィノナ・ライダーに似てる?)。だからオリジナルが孕んでいたある転動を、実は隠し持っている気もします。

他にも面白いポイント、多々ありましたが、このへんで。ソフト化したら、もう一度みたいですね。気になるところも多々、あるので。

<2011.9.22記>
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