【ハイクで二度死ぬ】
アマプラにて。『聖地には蜘蛛が巣を張る』関連情報で知り、興味が湧いたので。
90年代アルジェリア、地獄のガールズムービー。経験者である監督が、地獄から抜け出し他国で撮ったもので、『少女は自転車にのって』『娘よ』『裸足の季節』等の流れを汲むものですね。
苛立ちと怒りの映画。作られた意義は感じるし学びもあるが、作者(=登場人物)の苛立ち、怒りが直情的で子供っぽい。ヒロイン女子大生、上辺がこう見える娘は居るけれど、その下の心を掘り込んでくれないと。どうも、JKがキャッキャ言うのを眺めて終わるレベルだ。
作者の成熟度がそのまま出ている気がする。仕立てが日本の、安い方のドラマっぽい。
強要される女性の“正しい服装”へのカウンターとして、ヒロインがファッションデザイナー志望という図式はわかり易いし、あのイベントを企画することも、図式的にはわかる。
が、どうしてもそうしなくては、という物語としての必然性を弱く感じてしまうのは何故だろう?あの苦労するイベントも、女子会の延長のように映ってしまう。
で、例えば、イベントには生徒内でも様々な意見がある筈なのに、あの実施前の食堂で、皆が急に、一気団結してしまうのはおかしくないか?
伝統的な布地“ハイク”を使った意味は大きいようですね。でも、物語からそのまま受け取ると、国の伝統が伝統的狂信に殺される、と思えてしまうが、それでいいのだろうか?
そして老若男女関係なく、地獄は平等にやって来る。終盤、学校で起こる事件は、アメリカでも個人による犯行が頻発しており、それも狂っているが…アルジェではあの時、それは犯罪ではなかったという…。狂信者にしてみれば正義だものね。
事件後のヒロインのリアクション、その無力さに言葉を失う。子供っぽさとのギャップが凄まじくて一瞬、ついていけなくなりました。
で、ラストは安堵に思えるけど…お姉ちゃんを追うことになるのは、時間の問題だよね。
全般、大人向けとしてはどうよ?とは思いました。が、実際にアルジェ出身のリナ・クードリも、良くも悪くもデスパレート女子として頑張っているし、見た甲斐はありましたね。
<2023.5.3記>