プリウス

ディナー・イン・アメリカのプリウスのレビュー・感想・評価

ディナー・イン・アメリカ(2020年製作の映画)
4.2
きょうび劇中でもリアリティ重視でもうちょい漂白されてるようなキャラ造形が多そうな中、バッチバチに行動がパンクなサイモンの描写が最高すぎて序盤から笑い/アガリっぱなし(パティん家でコーヒー飲んでノンカフェインって聞いた瞬間キッチンにマグカップ叩きつけて割るとことか流石に噴きました)。

一方でパティはかなりずれて書かれてる感じで描かれており、ヒロインにしてはかなりweirdな感じ。不器用というか周囲に合わせきれないというか、その生きづらさにも共感はできるんだけど、ストレートに自分を投影するにはやや不穏なずれ方で最初は見ていて居心地の悪さを感じる。

本作で題名どおり随所で展開される各家庭での晩餐(dinner in America)においてはパンクなサイモンは破天荒な振る舞いをして上っ面の調和を叩き壊す一方、パティは自分の思ったことややりたいことを話すだけなのに受け入れられない。
(多分、パティはなんらかの発達障害を抱えているんじゃないかな。)

作品の題名でもあるDinner in America(アメリカの夕食)は家族や客人と食卓を囲み団欒をするアメリカ社会にとって幸福の象徴のひとつなのだろう。しかし、それは同時に規定された幸福の形や振る舞い以外のものをそこに望まない規範意識や重圧、排他意識や同質性を求める重圧でもある。

その晩餐を要所に盛り込みつつ展開される作品を見ているうちに観客は周囲がパティの個性を認めず圧殺しようとしており、その繰り返しの中でパティは自身がハズレ値でありそこに馴染めない自分がおかしいのだと思いこまされていることに、サイモンの目を通して気付かされる(サイモンも最初はノロマで何もない女としか認識していない)。

ただ普通に人として接されて一日を過ごしただけなのに「人生最高の日だわ」というパティの姿を見て泣いた。

一方のサイモン自身も自分の家では、理解者のビル(?だっけ、名前忘れた。)を除いては異端者扱い。その中で逆に唯一まっすぐなパティがあんたらおかしいよと抗議する。

その帰り道の「私ってバカなのかな」→停車「いいか、お前はバカなんかじゃない。二度とそんなこというな。お前はパンクなんだ。
」のやりとりを見てベタだし、言ってることはアホなんだけどもそれが全て。
生きづらさを抱えている全ての人にそう言ってあげたいし、バカにしたり排除しようとしたりしてないだろうかと我が身をふりかえりつつ涙した。
そして現代に輪をかけて不自由や息苦しさが充満してたであろう90年代、周囲に馴染めない、馴染むことを拒んだ若者を肯定する場であり、そのエネルギーの発散される手段としてパンクが若者を救ってたんだろうと思うと、元パンク小僧としてはより泣けてきた。
(学生時代に先輩から名指しであいつはファッションパンクって言われてたりしたっすけどね。。。思い出しちゃった。。。)

なんの前情報もなく見たので、結局ラブストーリーに帰結するのかどうかもあんまりよくわかってなかったのでなお楽しめてよかった。

終盤、名前しか出てきていなかったキャシーとなんとかってパティの女友達が実際に存在してて、パンク好きを共有できているということが本当(ライブまでの距離感まではわからないが)だったことをみてホッとした観客は多かったんじゃないですかね。僕はちょっと安心しました(徹底的に友達いないと決めつけててごめんよ、パティ。。。)。

最後に、刑務所にはいって食う晩飯(パティが裏から手回しして特別メニュー)が一番まともだぜって言って終わるタイトルに対応したオチも皮肉が効いてて秀逸だなぁと思いながら幕引き。

最高でした。

あと、「匿った男が推しだった」みたいなキャッチコピーや「成功したオタク」的な描写、ことさらにラブストーリーであることを煽るのってプロモーション上しょうがないんだろうけどなんだかなあって感じもしました。
もちろん多くの人がみてほしい一方でハッシュタグ増やすように観客の関心を集めそうな側面のみを切り取って大きく見せていくのだと逆に間口が狭まる可能性もありそうだのなぁ難しいよなぁと子供みたいなことを思いました笑
(この作品が特にというよりも一般論としてです。素敵な作品を本国に先駆けて日本で見られる幸福を提供してくれた関係者の方々には感謝がつきません。)
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