デヒ

モロッコ、彼女たちの朝のデヒのネタバレレビュー・内容・結末

モロッコ、彼女たちの朝(2019年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

子供を妊娠した体で一人街をうろつく女性、サミア。 夫を死別した後、一人で娘のワルダを育てながらパン屋を営む冷たい性格の女性アブラに会う。仕事を探すというサミアを冷静に帰宅させるが、彼女が気になったアブラは、サミアを自分の家で泊まらせてくれる。

映画は劇映画だが、本当に繊細でリアルにドキュメンタリーのように描いている。顔のアップが多く、長回しが多い。そして彼女たちの生々しい肌。二人の女性が置かれている状況とお互いの欠乏を満たし合う姿、感情共有が切なかった。映画館には本当に多くの観客がいたが、上映の間中、重い空気が一杯で、すすり泣き声と重い息づかいが流れるだけだった。

私は未婚の母のサミアが「天使」のように感じられた。二人の親子が生活していた家にサミアが来たことで生気を取り戻した。夫と死別したアブラはトラウマから抜け出し、自分の娘の名前と同じ名前の歌手ワルダの歌を再び聞くようになり、新しい愛に向き合うようになった
そして店の売り上げも前に比べて上がった。自分を助けてくれた人々に幸せを与え、最後に立ち去るの姿まで。 サミアの姿を見るとトルストイの本「人は何で生きるのか」が思い浮かび、サミアは劇中の天使のように感じられた。
最初はサミアがアブラの欠乏部分を満たしてくれたなら、後半部にはアブラが未婚の母であるサミアの欠乏を満たしてくれる。 劇中にも確認できるよう、回教徒が主な教理として占めているモロッコにおいて未婚の母は蔑視されてくる。子供に愛情を与えようとしなかったサミアが、お腹が空かせて泣く子供に乳を含ませ、名前をつけてくれるまでには同じ女性であり、母親のアブラの役割が大きかったと思う。

二人の女性の治癒。
女性連帯と新しい生命の尊厳性。
女性であり、母へ送る手紙。
(子供の名前がアダムだが、これは聖書創世記に書かれているように、創造主が初めて作った人間男性の名前は「アダム」である。 )
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