煙草と甘いコーヒー

MOTHER マザーの煙草と甘いコーヒーのネタバレレビュー・内容・結末

MOTHER マザー(2020年製作の映画)
2.0

このレビューはネタバレを含みます

この作品は、ダメな母親による、殺人できちゃう息子の育て方、というハウツー映画、とでも言えばいいだろうか。

料理番組のように、「最初にこれらの材料を混ぜまして30分ほど寝かせます、で寝かせたものがこちらです」といった感じで、6日後、○年後、と作り方(育て方)を見せられているような感覚。
その手法が良い悪いではなく、最後に祖父母を殺してしまう少年を描き、殺させた母親は息子が勝手にやったと平気で言える母親を描き、そんな母親をかばって12年の実刑を受ける息子と、だからなんだんだという母親の狂気を視聴者に見せつけて映画が終わる。

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そりゃ、こんなオカンいたらたまったもんじゃないし、ラストのすわった目はゾクっとするような素晴らしい演技である。

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にしてもなんだろう、この肩透かし感は、、、

この母親によって、狂わされたのは息子だけで、母親の色気で行為におよぶ男たちも、独身が多く、大きな火事にならずに被害が最小限のぼやで終わっていき、息子が殺すのも祖父母なので、人様に迷惑を掛けてはいないので、母親の狂気の及ぶ範囲が極めて限定的で身内オンリーなので、人が二人殺されてはいるのに、その殺意は金に困る母親のためだけなので、物語自体が非常に小さな範囲で終始している。

痴話喧嘩、親子喧嘩を見せられた、という感じというか。

こちらに、あの母親の狂気が及んで来ない、という描かれ方だからだろうか。

持て余しているのは、彼女の家族とごく一部の関係を持った人たちだけなので、彼女たち以外の社会の側に、あの狂気が向けられていないことが、この作品のつまらなさになってしまっているのだろう。

ああいう親から子供を守ることが出来ない日本社会の脆弱性を問う、というのもないし、少年を救えなかったことの責任を夏帆ひとりに背負わせてるだけで、夏帆がただの物好きというか、お節介のおめでたい人なだけになってしまっているし、裁判のシーンもないし、社会との接点、社会への影響が極端に少なく描かれている。

だから、何故この映画を作ろうと思ったのか、そして、何を描きたかったのかに疑問符が浮かんでしまう。

長澤まさみのラストの目は、作り手たちが最後まで持つことの出来なかった映画としての意思を、この作品に授けたかのように勘違いさせてしまうほど名演技であり、あの目は、見た人を納得させ、この映画が作られて正解だったと思わせるほどの説得力を放っている。そいう点では、一番の罪は彼女の演技力なのかもしれない。