アンソニー・ホプンキンス劇場。
認知症を患ったアンソニーと娘のアンの物語。
初見、何これ?分からん。頭が混乱。
2回目、時系列把握。セリフの意味。
3回目、細かい服飾、インテリアの変化、伏線回収なんとなく、理解。
アンソニー・ホプンキンスの演技、今更だけど、何者にでもなれる変幻自在の役者さんだな。アカデミー賞も納得。
この作品、台詞の言い回し、センス、チョイスが心地よい。詩を読んでいるのかと思うほど、耳に心地よく響く。
以下、ネタバレ含みます。
認知症を患ったアンソニー・ホプンキンスが、頭が混乱する様子を表現する台詞
「全ての葉を失っていくようだ。枝や雨や風‥なにがなんだかわからないよ。」
作品を集約する台詞だと考えてるんだけど、哀れで美しい表現。
老いる事が親子の分断を引き起こす、親子の喪失を描いた悲劇。
老いは、現代の悲劇なんだね。
監督が2012年に発表した、戯曲がベースになった作品のようです。
そりゃ、台詞回しが詩的なんだ。
アンソニーが部屋に戻るタイミングで場面転換する仕様も舞台設定なのかも。
ストーリーは、アンソニーが施設に来て2〜3週間、認知症で状況を理解できない様子を描いたものかと。
なので、初見→何これ?分からん、頭が混乱は正解なんだろうな。
認知症の認識を観客に追体験させるホラー映画的要素もある映画。
時系列をまとめると
アンの妹が事故死。妹の容姿から20年前から30年前くらいの出来事と予測。
↓
アンとジェームスが離婚。10年前?
↓
アンソニー認知症発症?アン自宅から父を介護。
↓
アン、ポール出会う。
↓
アンソニーが介護人と揉めて、アンとポールは休暇旅行をキャンセルすることに。
↓
介護人が見つかるまで、アンのフラットに引き取り面倒をみるが、ポールと揉める。
↓
アン、アンソニーを施設に預け、ポールとフランスへ行く事を決める。
↓
アンソニーを施設に預ける。アンは去る。
↓※この時期が劇中描かれているアンソニーの認識かな?
アンソニーが施設で過ごし2〜3週間経つ。
認識症で頭が混乱していく様子はホラーだけど、ジャケ通りの親子愛の物語なんだと思う。
アンが父を想う姿、父親が呆けていく様子に悲しむ姿、アンは父親を心から愛してる。リトル・ダディは親愛を込めてアンソニーを呼ぶ家族だけが知る愛称。
だから、認知症を患う前のアンソニーは、偏屈だけど愛情深く、知的でチャーミングな人物だったのだろうなぁと想像。
親子愛が深い故に、アンソニーから離れてる事ができないアン。愛情だけでは、認知症の父を介護していけない。
アンソニーが台詞で、離れないで、行かないで、一人にしないでと繰り返し出てくる。
繰り返しのある台詞は、戯曲の連鎖反応的演出かな。作中、繰り返しのシーンや台詞多用されている。
アンの服装が同じように見えてエリの形が違ったり、フォルムが違ったり、フラットのインテリアも少しずつ変化している。
窓もドアもよく見ると、微妙に違う。
最後は、似てるけど無機質な施設のインテリアに変化し、アンソニーの服装も英国紳士から、要介護者に一気に豹変。
嗚呼、哀れ也。
老いては子に従えという言葉を思い出した。明日は我が身だよ。
3回観たけど、毎回新しい発見がある作品でした。名作枠です。
2021年鑑賞 117本目