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春を告げる町のkoheiのネタバレレビュー・内容・結末

春を告げる町(2019年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

「でもどう伝えていったらいいでしょう。
考え出したら、わからなくなりました」

演劇「人生ゲーム」の最後で友衣さんがこうセリフを発する。

上映後にパンフレットを読んだら、その友衣さんがこの映画を観た感想が書かれてあった。

「(島田監督からDVDをもらったものの)しばらく開けられずにいた。過去の自分を振り返ることが恥ずかしかった。そして震災のことを見たり聞いたりすることはすごく怖くて、申し訳なくて、考えることが苦しいものだと知ったから、だと思う。(中略)……画面に映る自分は、とてもまっすぐだった。私はいつの間にか震災を知るということを避け、復興について考えることをやめていたのだと、思った。もしかしたら、もうすでにあのときから考えられていなかったのかもしれない」

側からちょびっと観ただけだと、あの演劇の稽古はとても有意義な時間に見えていたけど、それだけ辛いことも多くあったのだろう。考えることはとてもしんどい。先生の言葉もそれを物語っていた。来るときが来たら、考えはじめればいいのではないかと思った。
映画は、人ってこんなに逞しいんだ、という瞬間に満ちていた。餅を被せられ泣きながらもハイハイをする1歳になったばかりのあんちゃん。そのお姉ちゃんは小さなみかんを得意げにもぎとる。重幸さんは昔からの正月のならわしを再現する。まちの祭りを再開しようと奮闘する町政と、担い手もいないし現実的でないと意見する町民。除染の間に合っていない昔住んでいた家でピアノを響かせる少女。足を負傷したアヒルは仲間を眺めながら田んぼに浸かっている。輪投げ、吠える犬、燃える小屋、激励する演出家、「石巻と比べてかわいそうと思ってほしくなかった」と反論し悔し涙を浮かべる彼女。
仮設住宅がなくなっても、あのおばあちゃんたちみんな逞しく生きてほしいと願った。

復興は、完了しない。復興とは何か、その答えが出ないからでもある。映画を観て「よかった」と書いたり、それよりももっと言葉を尽くしてきれいな文章を書いてみたりしてもそれで終わりにしたり、すこしでもわかった気になってはいけないなと思った。季節は巡り、春が訪れる。人は今日もおのおのに何かを考え、生きる。

生きつづけること。言葉を尽くすこと。笑いをもたらすこと。泣くこと。身体を精いっぱい使ってものを感受し、表現すること。
完了させないこと。

2021.3.13 CINEMA Chupki TABATA

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高校演劇部パートに出てくる大人たちが(実際はわからんけど)みんな信頼できない感じの態度をとっていて、そんな環境下でも生み出されていくちょっと言葉では言い表せないとてつもないものが映っていてとてもよかった。こういう説明の省略された映画は映画館で観なければ。いま東京では田端で上映されてるらしく、この機会は逃してはいけないか…。あと、とにかくあの演劇の全貌をみたい。
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