かーくんとしょー

グッバイ、レーニン!のかーくんとしょーのネタバレレビュー・内容・結末

グッバイ、レーニン!(2003年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

主人公は心臓の悪い余命幾ばくの母にショックを与えないよう、東西ドイツ統一を隠し、途中からは作戦変更して東から西への統一というおとぎ話を作り上げる作品。
一見、母のために奔走する息子というハートウォーミングなストーリーだが、非常に示唆的なことが含まれた作品だと思う。

母が息子の嘘に気付いていたかどうかは作品を観れば一目瞭然だ。
その視線は息子のでっち上げた番組にではなく、自分のために奔走した息子に注がれている。
自分が愛し、自分を愛してくれる息子が立派に成長したことを実感し、幸せな最期を迎えたことだろう。「素晴らしい」息子だと。

この作品の主眼は、その母のための嘘にあるのではないと私は考える。
そこにスポットを当てるなら、嘘が崩壊する〈悲劇〉を描けば良いし、嘘がつき通されたという荒唐無稽な〈喜劇〉を描けば良いのだから。
だが作品の結末はそんな単純なものにはならず、ある種の未解決な気持ち悪さが残されているように思える。

私は本作の主眼は、残されることになる主人公(や東ドイツ出身者たち)の心情にあるように思う。
当初の主人公は打倒東ドイツのデモにも参加しており、念願叶ってドイツは統一される。
しかし、東で育った人間はやはり容易には西に染まることはできなかった。これは歓喜の歴史の裏で(特に他国民に)忘れられがちな視点だ。

主人公が西から東へ逆行しようとするのは、途中からは母のためだけでなく、自分たちのためになっていく。
当然その裏には、統一によって仲良くなった西出身のナイスな同僚や、再会できた恋人、再婚できた姉夫妻も含まれるのだから、全てを否定することは不可能だ。少なくとも若者は、心から東ドイツ時代を望んでいるわけではない。
しかし、緩やかさを欠いた統一に対して東ドイツ国民が感じた戸惑いを隠さずに伝えている点は、私にはリアリティーがあるように思えた。
東ドイツ寄りに描いてしまえば懐古主義になってしまうこのような題材を、東ドイツ寄りの母を媒介にすることで、揺れ動く当事者の視点から描いたことは脚本の妙だ。

現在でも東ドイツに生まれ育ったドイツ国民はたくさんいる。また、旧東ドイツの土地で暮らす人間は差別や不利を被っている。経済格差は未だに全く解決していない。
だからといって過去の東ドイツに戻ることなど到底考えられはしない。
そんな現在の旧東ドイツの葛藤も根底に湛えながら、「前進あるのみ」の今を描いているのが素晴らしかった。

時代が下り資本主義社会で生まれ育ったことが当然になろうとも、歴史を残していくことは必要だ。
さらに言えば、今のドイツでは東ドイツ文化がリバイバルブームになっている。
東ドイツ側の人々がどう考えていたか、全てをこの作品で描ききることはしていないが、そこに思いを馳せる足がかりを残してくれているだけでも、本作は永く意義のある映画だと私は思う。

西側から旧共産圏を描くことは容易だし、旧共産圏側から旧共産圏を描くことも容易だが、爆心地ど真ん中の場所・世代を描くことはこの先どんどん難しくなっていくだろう。
今なお旧共産圏が旧共産圏然として存在し続ける以上、鑑賞者は物質的側面ではなく、精神的側面から改めて冷戦終結を見直す必要があるのではなかろうか。
そんなことを考えさせてくれる作品だった。
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