ネノメタル

すずしい木陰のネノメタルのレビュー・感想・評価

すずしい木陰(2019年製作の映画)
4.2
「誰もがやらないことをやる意義」というアティテュードを示した意欲作

1. 2回を観ての感想
これってどう言う映画なのだろう?と問われるとこう情報量はこれだけ、としか言いようがない。結論から言うと、「夏のある暑い日の午後、ハンモックに寝ている一人の女性。」と言うそれ以外にもう何も付け足しようのない予告編の映像そのまんまで延々と続いていくのだ。

ちなみに本予告では以下のナレーションが聞こえてくるだろう。

たとえばその中古車屋の娘は、
いつまで経っても子供みたいなヤツで、
もうすぐ30歳になろうというのに、
家でゴロゴロ、昼過ぎに起きて、
朝食だか昼食だかを済ませる間にも、
2、3時間テレビの前でぐうたら、
食ったら食ったでそのまま履き潰したサンダルをつっかけ、
家の裏の雑木林の隅っこにある、
中古車屋の喫煙所みたいになっている一角に何年も吊られっ放しの、
雨曝しのハンモックにぼよんと転がり、
起きるでもなく眠るでもなくボーッと、
生い茂る木々の葉っぱたちを眺めているように見えて、
実は今後の人生に思いを巡らしながら、
ふと頬を風に撫でられた途端、
宇宙のことを考え出し、
夏の空に伸び広がる天気輪の柱を見た気がしたのだが、
やがてそんなこともどうでもよくなり、
いつの間にかうたた寝をはじめ、
今日もまた陽が暮れてゆく。

....え、このナレーションがこの映画のストーリーじゃないの?という質問が聞こえてきそうだけれど、いやいや、それも違ってて、このナレーションですらほぼ当てになっていないのだ(笑)。

というか、「もしかしたらこういう設定かもしれませんよ。想像にお任せしますが...」という製作者側のサジェスチョンか手がかりか、はたまた妄想ということでしか機能しないのだ。だって本編ではまっっったくそういう言及がないもの。で、どういう本編かといえば、多分時間として夕方三時〜四時ぐらいの太陽が照りつけるある夏の暑い日、まるで轟音の様に響き渡る蝉の鳴き声の最中、時折吹いてくるが大木に吹き付ける涼しそうな風の音や、その木々に集う様々な種類の野鳥たちのが鳴声が響き渡り、そしてやがては時を経て轟音の蝉からヒグラシの鳴き声へと交代するまでのある日の木陰がメインステージである。そしてそこで、大きなハンモックに横たわりひたすら眠ったり時折起きたりする一人の女性を見守る、もうただそれだけの96分なのだ。で、そんな単調な映画が面白いのか?と言うシンプルな質問も聞こえてくるようだ。でも、これが物凄いインパクトを放ったのだ。

「寧ろ凄い映画じゃないですか、これ!!!」そう、これが私がこの映画を最初に観た偽らざる感想である。

だってそこには回収すべき伏線や泣き所のあるストーリー展開など一切皆無なのだから。

「伏線はどこで回収されるのか?」

「この話にオチはあるのか?」

「どれだけ泣ける?、笑える?」

本作は我々が映画なるものに常日頃から抱いているこういうオプションが必ず映画作品には存在するのだ、というバイアスをもう粉々なまでにぶち壊してくれるのだ。ただ、本作の唯一のキャストであり主演女優である柳英里紗さんがハンモックにて寝たり起きたりする様子を遠巻きに見つめるだけではない点には注意したい。本作を観る、というよりも眺める、というよりも見つめる、というか体感いていく内に、スクリーン状で微妙に光の加減や外の音が変化したりする様子を感じ取ったり、どんどん私の中で脳内でストーリーめいたものが構築される感覚を味わえるのだ。まさに脳内アドレナリン分泌映画とも呼称されるのかもしれない。でもこれって音楽文脈で言うと、ちょうどテクノやアンビエントなどを聴いて心地よくなっていく感じに似ている気がする。

しかも私は本作を大阪のシアターセブン 、神戸の元町映画館と合計二回鑑賞しているのだが、二回目の方が初回よりも「より映画」であり、これは新たな映画表現のスタイルであるとの思いを強くした。蝉と野鳥の咆哮が織りなす轟音のハーモニーに包まれるも、パッと静寂に変わる瞬間にハッとしたり、沈みかけた太陽が降臨したかのような光のオーラで包囲される柳さんの神々しさに固唾を飲んだりする96分、と言った具合に、初回以上にアバンギャルドな作品として心に響いたものだった。

 そこで話はガラッと変わるが、この映画を観た約一週間後ぐらいに『TENET』を観た。本記事ではあの作品についての詳細な言及は避けるが、あの作品における、頭の中グルグル息つく暇のない展開を観てふと思ったんだけど、ここまで徹底して作り込んだ作品でない限りは、大抵は人は意外と別の事考えながら映画観てるんじゃないか、と思った。
その意味で、逆に色んな事考えながら観ることを誘発する作品でもある『すずしい木陰』はもはや「究極」の部類に入るアバンギャルドな作品だと思う。


2.『すずしい木陰』リモート舞台挨拶を通じて
ところで、本作品を鑑賞したのは計二回であると先に述べたが、一回目は大阪は阪急十三駅付近のシアターセブン 、二回目は神戸はJR元町駅付近の元町映画館だった。この後、両方上映回ともどもリモート舞台挨拶という企画が用意されててトークセッションが繰り広げられたものだ。そこで興味深かった話は守屋文雄監督と柳英里紗さんともども、どこか映画に対する姿勢が凄く共通している点だった。2人とも映画作品に対する思いや、製作者としてのスタンスや、演じていく事への視点はどこか野心的で、まるで90sのイギリスかどこかのオルタナティブ・ロックのアーティストようなアバンギャルドな姿勢が垣間見えたものだ。

特に守屋監督は「事件の全く起こらない映画」という触れ込みの映画に常々疑問を唱えていた模様で、やはりそうはいうものの、どこかで何らかの形で事件が起こってしまっているではないか、という気持ちがあって、だから本作のような「本当に何も起こらない究極」の作品を志したのだと話していたし、柳さんも「ある女優が体当たり演技をした」とは言っても、演技でどこまでが体当たりなのか、体当たりでないのか、その体当たりの究極系として本作の撮影に臨んだのだという。ほんと究極を目指すという意味では完全に符合している。だからこそこの作品の製作に踏み切ったのだろう。

さらに、両者ともども口を揃えていうのが、

「やらない事をやることの怖さ、その難しさと敢えてそれらをやってみようという事の意義。」である。

ここに本作の最大の核(コア)があり、先に掲げた言葉尻たちに常日頃から疑問を呈し、そこに真っ向から挑んだオルタナティブな姿勢を示す作品として『すずしい木陰』を位置付けているのであろう。

 個人的にもう一点面白かったのがリモート舞台挨拶で 柳英里紗さんはめちゃくちゃハキハキと明瞭に話される方で、本編の台詞の分量をものの数秒で軽く超えてしまっているのだ。

「前日に何にも無い日の演技を心がけていた。」と言ってたが間違っても『凪の海』での何もかもありすぎたあの日の島崎詩織の翌日の出来事では無いよね(笑)

そして余談ではあるが、元町映画館でのリモート舞台挨拶の時だったが、柳英里紗さんいきなり携帯の充電残りが70%から30%ぐらいまで一気に少なくなったり、何度もzoom落ちで画面位置がコロコロ変わったり、外かららしく見知らぬ犬が近づいて来たり、短時間で映画本編の何倍も色んな事が起こり過ぎてるのは、今思えば滅茶苦茶シュールだったな。

前回神戸元町映画館で観たのは10月4日、あれから3週間が経過した。

そして今回第三回めの舞台は近鉄線東寺を降りて数分ほど歩いた所にある京都みなみ会館で、京都インディーズ映画の聖地である。

この映画館には過去、2年前に曽我部恵一さんがゲストで来て、横山やすし主演のバタバタヤクザコメディ映画の後に20分ほど舞台でギター演奏するイベントに参加したり、夜8時頃からぶっ通しで岩井俊二の映画を観るオールナイトイベントやら結構斬新な今考えてみても凄いイベントに参加したことがある。



駅に着いたのが4時30分、チケットを購入してモスバーガーやら何やら入り浸ったりで何とか時間を稼いでようやく18:40辺りから入場待ち。守谷文雄、柳英里紗両氏もその頃は既にいらっしゃっていた模様。


3.3回目を観て
そして3回目のすずしい木陰、上映。これで大阪(#シアターセブン)、神戸(#元町映画館)そして今回の京都(#京都みなみ会館)と関西3都を征服する事になったのだが、つくづく思ったのがすずしい木陰 ほど観る度に印象の異なる作品は無いという事。

まず、初回となる大阪、シアターセブンでは今考えればかなり2箇所に比べ音量をあげて映画作品自体の持つ【混沌性】に貢献していたように思う。

そして2度目の神戸ではその後のリモート舞台挨拶での「今までやらなかった事をやる。(柳)」「何も起こらない映画とは言っても何かが起こってしまってる(守谷)」と言うコメントに符号するかのように映画作品自体のもう一つの側面である【野心性】を感じるようになった。

そしてここ、京都では何を感じたか?スバリ【洗練性】である。

蝉の鳴き声や、ピチョンピチョン鳴く鳥の声(あれ何の鳥?)や風が木々にあたり揺れる様々な夏の轟音達が一瞬で無音に変わる瞬間も、中盤〜後半辺りに柳英里紗がハンモックからふと立ち上がった時に、まるでアニメ『言の葉の庭』辺りで描かれてそうなまるで羽衣のような太陽の光に包まれるシーンも全てが自然と偶然が生み出した精巧に作られたシナリオである事に改めて驚愕する。そう、結論を言えば今回3度目にして初めて【起承転結】を感じたのである。

次は「いつ」この作品に再会し「どこ」で「何」を感じるのだろう?
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