猫脳髄

アウステルリッツの猫脳髄のレビュー・感想・評価

アウステルリッツ(2016年製作の映画)
3.6
ロズニツァはいかなる意図で「アウステルリッツ」と銘打ったのだろう。W.G.ゼーバルトによる小説は、アウステルリッツという建築史家の男がヨーロッパの建築物を巡るなかで、抑圧された深い記憶が呼びさまされるという筋である。抑圧された記憶のひとつはアウシュヴィッツのそれであるが、本作が取り扱うのは、ドイツ国内のザクセンハウゼン強制収容所である。

もうひとつ。「アウステルリッツ」には文章との対応関係が今ひとつ明瞭でない数多くの写真が挿入される。アウステルリッツが写真撮影する描写も盛り込まれる。一方で、本作でザクセンハウゼンを訪れた無数の観光客の主な行動もまた、「写真撮影」なのである。

固定カメラによる長回しという定点観測風のドキュメンタリーだが、“Arbeit Macht Frei”という欺瞞に満ちた門構えは、群がる観光客にとっては「映え」くらいの認識だろう。記念館で解説される残虐行為に少しは神妙になるが、門を出た時には、皆安堵の笑みすら浮かべている。当時の囚人たちは、収容されれば二度と門構えを見ることはできなかったのだが。

彼ら無邪気な観光客を見つめる固定カメラの視線は誰のものなのだろう。私は監督ロズニツァではなく、ザクセンハウゼンの死者たちのそれではないかと思えるのである。「アウステルリッツ」に「いまだ生の側にいる私たちは、死者の目にとっては非現実的な、光と大気の加減によってたまさか見えるのみの存在なのではないか」というくだりがある。

固定カメラの視線は観光客たちを非難するものでもなければ、干渉しようとするものでもない。ひたすらそこに佇み凝視するだけである。翻って、死者の視線を借りた鑑賞者は何を感じるか。そこが本作の要諦だろう。写真撮影で何かを得られると期待する観光客とカメラによる死者の目線でそれを凝視する観客。お互いが何をしているのか困惑しつつ、生者と死者は行き違うのである。
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