アベル・フェラーラ映画は確かに独りよがりな自慰映画の側面も強い。だけれども、神への信仰を忘れたかもしれない現代都市の中にクズを配置し、そのクズの片鱗に信仰を魅せていくスタイルは、映画が可能とする人間心理の外部化に極めて忠実だと思う。『Go Go Tales』における、火の車経営の風俗を持ち直すために宝クジに命をかけ、行方不明となってしまった億万長者の切符となったクジを血眼になって探した末に思わぬ場所から見つかる。その時のウィレム・デフォーの顔には神が宿っていた。また『4:44 地球最期の日』における、終末世界に分断されたアジア人にスカイプを使わせて、最期の別れの場を作り出すところに人間のひとつまみの優しさがあった。登場すると大抵ロクなことが起こらないウィレム・デフォーが出演しがちということで、私の評価もついつい甘くなる。
IMDbのあらすじにたった一言"An exploration into the language of dreams."と添えられた本作は、確かにそれ以外にあらすじを説明仕様にない。言うなれば、『DEATH (TRUE)² / Air / まごころを、君に』の終盤の心象世界大洪水を90分魅せられるだけの映画だ。