ナガエ

食われる家族のナガエのレビュー・感想・評価

食われる家族(2019年製作の映画)
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いやー、面白かった!んで、超怖かった!これ、狙われたら、ほぼ回避不能ではないだろうか。いやー、凄い話だったなぁ。

映画を観ながら考えていたことは、「本物」より「ホンモノらしさ」の方が強い、ということだ。これは、非常に現代的だなと思う。

今、世の中の風潮で感じることは、「本物」とか「本当」とかって、もはやどうでもいいんだな、ということだ。

僕自身は、「本物」とか「本当」が知りたい。科学的な裏付けがあったり、綿密な取材がなされたり、そういう知識や情報を得るのが好きだし、それが「本物」「本当」であるかは、僕にとっては割と重要な要素である。

しかし世の中の人は、「本物であるかどうか」より「ホンモノらしいかどうか」の方が重要なのではないかと感じる。例えば、「ウィキペディアの記述を鵜呑みにしてはいけない」というのは、ネット情報に触れる上での大常識、いろはのいだと思うのだけど、「ウィキペディアに書いてあるから」という理由で信じる人というのもいる。あるいは、以前非常に驚いたのが、一緒に働いていた人に「テレビでやってることの半分は嘘だからね」と言ったら、もの凄くびっくりしていたことがある。僕の「半分」という主張にはまったく根拠はないが、しかし、程度はともかく、一定以上の嘘が混じっているというのは、当たり前のリテラシーとして持って無ければならないと思うのだけど、その人は、「テレビで流れている情報”だから”正しい」と感じていたようだ。

これはまあ、リテラシーの問題だと言えばそれまでなのだけど、僕は能力の問題というよりも、「本物」に対する関心の無さから生まれるものなんじゃないかと感じている。

それはある程度仕方ない部分はある。例えば、ネットで調べると数字は色々出てくるけど、概ねこんな感じの情報が出てくる。「人類が30萬年かけて蓄積した情報量と、2001年~2003年までに蓄積した情報量は同じだ」。何が言いたいかと言えば、昔と比べて僕らが日常的に触れる情報は莫大に増えたということだ。触れる情報の一つ一つに、「本物」かどうかという視線を向けるのは無理だ。だから人間は、情報の真偽に関するセンサーをある程度鈍麻させることで処理能力を高め、その処理方法で何か問題が発生した時に対処する、というやり方に変えたのだろう。

そして、そういう世の中だからこそ、この映画のような状況はいかようにでも起こりうる。「本物」を生み出すことは非常に難しいが、「ホンモノらしさ」を作り出すことは努力でなんとかなる。そして、「本物」に対するセンサーが薄れているからこそ、「ホンモノらしさ」はある閾値を超えると「本物」にすらなり得てしまう。

怖っ!

内容に入ろうと思います。
建築事務所の代表であるカン・ソジンは、半年前に妻を交通事故で喪い、悲しみの底にいる。ひき逃げ犯を見つけるべく、友人の精神科医に催眠療法をしてもらっているが、成果はない。娘のイェナには妻が死んだことは言えず、遠くにいるとだけ説明している。
ある日ソジンの元に、児童福祉館から電話が掛かってくる。1996年に失踪した妹のユジンを見つけた、というのだ。ソジンは、家族で遊園地に行った時、母から妹の手を離すなと言われていたのに離してしまい、その後25年間ずっと行方不明のままだった。妹だと名乗る女性に会いに行くも、ソジンはDNA鑑定を要求。妹だと名乗り出る人物がこれまでも多く、その度に母に心労を掛けるからというのがその理由だ。
結果は、肯定確率が99.99%以上。妹だ。両親は喜び、養父母を亡くしたばかりだというユジンと一緒に住むことに決める。ユジンは料理が上手く、両親や娘ともすぐに打ち解け、シングルファーザーとして娘の子育てと、足の悪い母親の看病をしていたソジンにとっても助かる存在となった。
しかし…。何かがおかしい。ユジンは完璧で、両親も娘もまったく何の疑いも抱いていないが…。
彼女は本当に妹なのか?
というような話です。
ユジンのなんとなく胡散臭い雰囲気は最初からあって、観客としては、きっと妹じゃないんだろうなぁ、という見方を最初からすることになるのだけど、それにしても、どんな風に話が展開していくのかまったく想像がつかない物語だった。ユジンは妹なのか、という謎もありつつ、他にも不審な点がいろいろと出てくる。しかし、不審がっているのはソジンだけ。両親も娘も、ユジンを絶賛し、再会して数日だというのに、いつの間にかするりと家族の中に溶け込んでいる。それは喜ばしいことのはずなのだけど、はっきり何と指摘できない程度の些細な違和感がじわじわと降り積もっていく。その感じを出すのが、主演の女優さん、メチャクチャ上手かったなぁ。家族に対する疑いを抱かせない表の顔と、何やら企んでいそうな裏の顔が、確かに違うんだけどその差が実に微妙で紙一重。観ている側も、「裏の顔があるっていうのは、自分の勘違いなんじゃないか」と思ってしまうような感じがあって、絶妙な演技だったと思う。

そして何よりも恐ろしいのが、ユジンを怪しむソジン自身が、逆に家族から疑わしい目で見られるようになっていく過程だ。これはなかなか凄い。

端から戦略を練り、仲間もいるユジンとは違い、何が起こるのか分からない中で臨機応変に対処し続けなければならないソジンの方がもちろん圧倒的に不利だとはいえ、ソジンの振る舞いには明らかに失策だよなぁ、と感じるものもある。「見せ方」という点で、ソジンはユジンにまったく及ばない。現実を正しく捉えているのはソジンの方なのに、ユジンによって「本物」が塗りつぶされ、「ホンモノらしさ」が少しずつ本物へと変わっていく過程は見事でした。

若干、最後の方の展開には不満が残るというか、急展開と言えばそうなのだけど、その地点から物語のラストの地点まで行くのはちょっと無理あるんじゃないか、というような急転直下的な事態の変転がある。ある意味で予想外の結末というか、その地点からそこまでの展開は想像できないわ、という感じになるので、ちょっと無理あるかなー感が強いラストの展開ではあるのだけど、でも全体的には、繊細な心理描写と、正しいことを主張している人間がいかに錯乱していると判断されてしまうのかという怖さみたいなものが非常によく醸し出されている映画だなと思いました。

しかし、主演の女優さん、表情や佇まいがホントに見事だったと思います。
ナガエ

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