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『The Twentieth Century(原題)』に投稿された感想・評価

[地獄からこんばんは、そこは20世紀の夜明け] 90点

マシュー・ランキンはこの奇っ怪な映画について、"地獄からやって来たヘリテージ・ミニット"と短くまとめている。『ヘリテージ・ミニット』とは、カナダ人の偉人とその業績を短く紹介する長寿番組のことで、ランキンは"持て余しものだ"と切り捨てている。そこで、ある種アングロ系のプロパガンダとして、90年代のケベック独立運動を尻目に製作されたというこの番組の側面を最悪な形に誇張して極限まで煮詰め、ケベックを現代性と進歩の象徴として据えることで、その立場を逆転させようとした。舞台となるカナダは20世紀を前に全体主義的なトロントと、慈悲深いジョゼフ=イスラエル・タルトに率いられた国粋主義的なケベックに分断され、戦争状態にあるという設定になっているのだ。ランキン自身、生まれも育ちもウィニペグ(英語圏)であるが、ケベック(仏語圏)で暮らしている時間の方が長いということもあり、英仏の間で引き裂かれるカナダ人のアイデンティティに殊更敏感だったようだ。ちなみに、歴史を研究していたというランキンは、この歴史改変SF的な映画について、真実を内包しているとは考えていないらしい。

本作品は"ガイ・マディンが撮ったモンティ・パイソン映画"と評されていることからも分かる通り、下劣でナンセンスなコメディとヴィヴィッドで変態的なメロドラマがグロテスクに融合し、性倒錯的で人工的なキメラのような映画が誕生した。"ガイ・マディン的"というのは、監督がウィニペグ出身というだけでなく、フィルムグレインやグロテスクなオブジェクト、章立てや中間字幕、ハリウッド・メロドラマ的な演技など共通点には事欠かないから言及したのだが、同じことを何人ものインタビュアーが訊くようで、少々うんざりしているような印象も受ける。

本作品の主人公たる"偉人"ウィリアム・ライアン・マッケンジー・キング、通称"マッケンジー・キング"は二次大戦期を含む合計21年間カナダの首相を務めた政治家である。"20世紀はカナダの世紀になる"というウィルフリッド・ローリエ首相の演説に明らかに触発され、政治家を志すことにしたこの青年について、彼の日記を読み込むことで、20世紀初頭の浮ついた桃源郷的アイデアが、現代の悪夢へ陸続きで繋がる方向へ舵を切る転換点を再現するというアイデアを得た。ランキンはキングの日記の中に、彼の母親と犬への執着を見つけ、この"恥"とも言える部分を拡大して引き伸ばすことで、日記には書かれなかった部分や削除された部分を補完しようと試みたのかもしれない。

時は1899年。孤児院で病床に伏す結核の少女に当選を約束する青年がキングである。彼は振り向きざまに夢に思い描いていた理想の女性を発見し、彼女がトロントのカナダ大総督の娘ルビーであることを知る。彼は首相となってカナダを率い、ルビーと結婚することが運命付けられていると信じて疑っていないどころか、強権的な母親と共に日々それを妄想している。痛々しいを通り越して滑稽の域に到達している。彼は他の首相候補者と共に最優秀リボンカット選手権や最優秀尿サイン(尿で雪に自分の名前を書く)選手権、最優秀匂い選び選手権(匂いで木を当てる)などに参加し、"ディサポイントメント"などというあからさますぎる名前が付けられた旧カナダ国旗に敬礼する。

本作品の変態的な部分はキングの内面に集約されている。彼は対比される他の候補生、男前マッチョなアーサー・ミーエンや優男で思慮深いバート・ハーパー(共に歴史上の人物)とは比べ物にならないほどナルシスティックかつ独善的で、しかも女性の靴(使用済)に取り憑かれており、それを用いた自慰を我慢し続ける。そんな執着を視覚的に示すかのように、グロテスクなサボテン(キングが発射すると爆発する)や一角獣の角など象徴的な棒状のアイテムがそこかしこに登場する。それに反して、ミニマルを極めた屋外描写では、最早ロッテ・ライニガー作品のように切り絵のようにすら見える、二次元的で遠近感のないものになっているのだ。この誇張されたグロテスクさ、チグハグさというのが、現実や歴史から距離を置き、風刺/寓話に振り切れていることを示している。この奇妙な設定が最後まで生き延びてくれればそれで良かったのだが、設定に甘んじてしまった点は初監督作ということで大目に見ることにしよう。

キングがエディプスコンプレックスを抱く母親はガイ・マディン作品に多く出演する俳優 Louis Negin が演じており、他にも多くの俳優女優がその性別を交換し、付け髭なり巻き髪なりを付けて演じている。特に印象的なのは、ケベックの人道的指導者タルトを女性が演じていることだろうか。これらはランキンの"学校の演劇の何でもあり感を出したかったし、WASPの話なので忖度して有色人種を出す意味は分からん"という意図を越えて、指導者という立場や男性社会としての軍隊の中で"男"として振る舞う必要があることを暗示しているようで興味深い。

登場する歴史上の人物はキング以外に、上記のアーサー・ミーエンとバート・ハーパーがいる。前者は保守党の党首としてキングとは、首相を交互に務めた人物で、映画では嫌味っぽい尊大な人物として描かれている。また、後者はキングの学友でジャーナリストであり、出席したパーティで凍った川に落ちた友人を助けようとして溺死している。映画では生粋の優男かつ正確イケメンとしてキングの前に降臨し、次期首相と目されてキングの夢を無意識に摘み取っていく役割を負っており、溺死のエピソード("What else can I do?"という最期の言葉まで)を再現する。

出来杉君ハーパーに夢を奪われたキングは、当選のために抑え込んでいた使用済み女性靴への執着が爆発し、ルビーも去った今、特に好きでもない母親の看護師と婚約する。彼女はフランス系の訛りがあり、ケベック出身であることが示唆される。彼女、そしてルビーの間で揺れ続けるキングは、その愛国心と権力欲を上手く使われていたことに気が付くが、それに気付いた頃には20世紀がやって来ていて、周りの女性は死にかけの老母一人しか残らず、"失望"の旗がカナダの上にはためいていた。"やったよ、母さん"という呟きと共に。

ちなみに、ランキン自身も『ヘリテージ・ミニット』に企画を売り込んだらしい。内容は"ベン・ジョンソンについて、9.79秒のダンス映画"というもの。あまりのアヴァンギャルドさに即却下だったようだ。
CHEBUNBUN

CHEBUNBUNの感想・評価

4.5
【世界初?利き丸太をする男】
内容はかなり複雑で厄介なのですが、ガイ・マディン系の狂ったヴィジュアルが凄いので日本にも来て欲しい。

なんたって、目隠ししながら利き丸太を始める場面で途中にキャベツが混ざっていても当たるんだぜ。

サボテンは爆発するし画が面白過ぎる。