ものごとの表面しか見ていない訳じゃないんですよ、平面でしか捉えられないんですよ日常に於いて対話をする相手が居ない人間てのは、自分のそれとは違う別の視点が持てないが故に。
だから自分が楽しめない映画は駄作だし、コンビニで弁当を買ってる奴はタワマン住まいの大富豪だし、ナイトプールで自撮りしてる女は例外なく医者のちんぽをしゃぶりたがってる、そう考える訳ですよ。
なので、グラデーションを付けるみたいに徐々に多角的にものごとを見せその元来の立体構造を露わにする構成の物語にゃ毎度毎度、してやられっちまって驚きと感心を思う訳ですよ。
更に言えば本作の場合は、自らの現実を満たされず報われないものと捉えるような向きが欲する類いの物語が入り口、詰まりまんまと共犯者にされちまっておりますからして悔しい余りの喰らっていないふりもさせてもらえない。
端的に。
控え目に言って。
青くて痛くてめっちゃ面白え。
目を凝らせば確かにその姿を予告編でも確認出来る、けど出演を知らなかった二人の演者についてその画面支配力に、危殆な雰囲気にハラハラさせられましたよ。
その存在を認識したのは「わたしは光をにぎっている」、なので松本穂香のふり幅には感心頻りでしたよ。
杉咲花のいい表情もふんだんでしたけれどもあたしゃやっぱりあそこのあれ、涙を溢す直前の顔にぐっときちゃいましたよね。
と、振り返っている内にまた観たくなっちった後日もっかい観に行こう。