「タフ」シリーズはこの復讐篇のみ監督が原田組の助監督、門奈克雄が監督を務めているが、実質は原田眞人のコントロール下にある作品と言える。前作で振られたエピソードや謎のタネ明かしであり、次郎の師匠・根路銘の仇討が果たされるお話である。
このシリーズがビデオシネマとして、いや映画として突出しているのは、もはや「ドラマ」が存在していない点だ。いや、確かにドラマはある。だがそれは映画の作劇としての「なぜ、いかにして殺すのか」のドラマではなく、「殺す」という決定的な事実をめぐるドラマである点で、凡百の映画(=物語)からははみ出している。殺人ビデオを取り返す、仇を討つ、それなりの理由はあるのだが、そこについて回る環状の流れ(所謂日本的な)を捨て去る事で、「殺す」瞬間のみが画面に連続していく。登場人物の殆どが驚くほどに冷酷で非情なのは、「殺す」瞬間こそが描かれるべきものであるからに他ならない。「殺す」という行為、「死」というものの意味は描かれない。描こうとしない。結果、このシリーズでは夥しい数の「死」と「殺す」ことだけが残されている。極めてビデオシネマ的な、映画とは違うモーションでもって、視る者に爪痕を残していく。「理由」や「プロセス」を語る必要はないのだ。
冒頭に書いた様に、門奈克雄の演出は原田眞人を踏襲しており、若干ペースダウンさせたようにも見える。シリーズを通して言える、「湿っているのに渇いている」空気は保たれている。移動撮影と照明の醸し出すノワール感は非常に魅力的だ。前半を担当した長谷川元吉撮影の粒子の粗い、コントラストのはっきりした画は素晴らしく、艶のある夜のシーン、自然光を活かした昼間のシーンとバリエーションも豊富だ。東映Vシネマが実現できずにいた映像を、このシリーズは持ち得ている。
映画でありながら映画でないもの。ビデオシネマからもはみ出しているもの。それがこの「タフ」シリーズである。それは後半の「ビジネス殺戮篇」で激しく視聴者/観客を挑発していくことになる。
余談:本シリーズもBIG SHOT/納富貴久男氏がガン・エフェクトの監修を行っているが、東映作品のように「銃を見せる」事ではなく、「小道具としての銃をリアルに見せる」事にウェイトが置かれている。例えばサイレンサーが付いた銃は手動で排莢を行う、など。
これらは東宝ニューアクションに遠くルーツを見る銃の活かし方だ。ビデオシネマのごく初期にこれらの仕事がなされていたのは、CG弾着全盛の今、再発見できる部分でもあるだろう。