KnightsofOdessa

TITANE/チタンのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

TITANE/チタン(2021年製作の映画)
4.5
[チタンがもたらす予期せぬ奇跡] 90点

大傑作。2021年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品、パルムドール受賞作。前作『RAW』や短編『Junior』と同じくギャランス・マリリエがジュスティーヌという役で登場するが、本作品の主人公は彼女ではなくアレクシアという女性である。冒頭、不気味な威圧感のある父親(なんとベルトラン・ボネロ)が運転する車が事故にあい、少女アレクシアは頭にチタンプレートを埋め込むことになる。十数年が経ち、カー・ストリップ・ショーで踊るアレクシアは、誰もいなくなった会場で車の後部座席に座り、文字通り車と交わる。車とセックスという雑な連想でよく比較されるデヴィッド・クローネンバーグ『クラッシュ』とは確かに似ている部分もあり、それは直接的には人体の破壊として、間接的には定義区分上相反するもの(男と女、人と車=有機物と無機物、人体の破壊と再生=死と生)の境界を曖昧にすることとして表現されている。チタンはそのきっかけであり、境界壁を低くする触媒のような役割を負っているのだ。

物語は中盤で大きく転換し、アレクシアは10年間行方不明の少年アドリアンになり代わるという展開を迎えるが、そこで登場するのがムキムキマッチョの消防隊長ヴァンサンである。彼はアレクシアがアドリアンでないことを知ってか知らずか、彼女が息子であろうとなかろうとアレクシアを自らの子供として受け入れる姿勢を示す。また、ヴァンサンは隊員たちや子供を恐怖で押さえつける筋肉親父かと思いきや、影ではそれを維持するためにステロイドを打つなど、旧来の家父長的な役割を体現しながら、別の側面も見せていくのだ。上記の『クラッシュ』に繋がった境界の曖昧さは、アドリアンとして迎え入れられるアレクシアにも、今昔の父親像を体現するヴァンサンにも適応され、個人の物語を超えて壮大に広がっていく。

この映画には起こったことを全てそのまま受け入れて飲み込んでしまう果てしない深さがある。その温かみと金属的な冷たさの共存こそ、チタンによってもたらされた両義性の賜物と言えるだろう。凄まじい一作。
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