狭い部屋に閉じ込められたアルド・モロの、本当にこの人が一国の首相なのかと疑いそうになるくらい衰弱したような弱々しい体と、現実に起こった出来事とは異なるラストシーンの、心地よい疲労のような清々しさをまとって早朝の町を歩くアルド・モロとの対比がしんみりとくる。何でもないようなシーンを現実に真っ向から反対させるような虚構として打ち立てることで何らかの力を換気させる手法はタランティーノに先駆けてこの映画でやっていたのか。何でもなさといえばこのアパートの一室が歴史的な監禁事件の現場になったとは思えないくらいの普通さなのだ。