※去年のベストに選出した作品で、書いたのが一年ほど昔なので大分青臭いのですがお許しください。
[素敵な場所は、ここではないどこか] 100点
少女でも大人の女性でもなく、オランダで育ったボスニア人という出自のアルマが自分の居場所を探し求めるのは必然であり、ボスニアに帰ってしまった父親が入院したのを期にボスニアへ一人で行くのは至極当然のことだろう。ボスニア・ヘルツェゴビナ生まれの監督 Ena Sendijarevic は何本かの短編映画を撮っており、最新の短編作品『Import』(2016)はカンヌ映画祭は監督週間の短編部門に招待され称賛を浴びた。そんな彼女の待望の長編デビュー作が本作品である。
母親の反対もなく(というか寧ろ賛同している)開始五分でボスニアに降り立ったアルマは緩い旅を開始する。空港に迎えに来た従兄弟エミールは無職のくせに忙しいと言って取り合ってくれないし、その友人デニスは自分とは寝るくせに車は持ってないし彼女はいるし尽く外してくる。二人に邪魔者扱いされて家に取り残されたアルマは、街にふらっと出掛け、髪を黄金に染めて戻ってくる。
撮影には頻繁に"反射"が用いられている。鏡はもちろんのこと、ピカピカに磨かれたホテルの受付デスク、エレベーターの天井、電車の椅子の上に付いてる鏡に至るまで、徹底して鏡を利用することで全員を一つの画面に入れると同時に空間を広げ、そしてアルマの持つ二面性まで指摘する。ボスニア人でありながらボスニアには居場所もなく、先進国オランダの人間或いは故郷を捨てて逃げた人間として扱われ続け、年齢という点でも成熟しているわけでも未熟なわけでもないからこそどちらの要素も持ち合わせている。
全く相手にされないアルマは一人でスーツケースを抱えて父のいる田舎の病院を目指してバスに乗り込む。しかし、トイレ休憩中に置いていかれ、通り掛かったキャバレー歌手に助けられる。彼女はボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中の暗い過去から現代のボスニアが何も変わっていないことを示し、アルマの疎外感をそれと知らずに浮き上がらせる。もちろん、歌手自身はアルマの味方なのだが。エミールとデニスがアルマを回収しに来たシーンは、地上にいるエミール→二階のベランダにいるアルマ→三階のベランダにいる歌手という高低差をバキバキに使ったショットの数々に鼻血出そうになった。
帰国が現実的になってきて、アルマは仕事もせずに遊んでいる男たちに"オランダなら仕事もあるよ"と一緒に行くことを無神経に勧める。しかし、エミールは"この国で満足しているんだ、逃げ出したてめえに何が分かる"と返し、アルマの居場所はもうボスニアないことが明白になる。拾ったコカインを売りさばくために再び置いていかれた彼女に寄り添うのは子犬しかいない(子犬可愛い!)。売ったお金で最後の豪遊をした一行は、ホテルのマジックショーを見に行ったシーンは印象的だ。真っ暗な中、助手に指名されたアルマは人体切断ショーに参加することになる。そして、"切断"された自分の足を見ることになるのだ。分断された自分自身というのは、鏡で反射させた二面性への回答だろう。
翌朝、浜辺に出たアルマとデニスは勝手に海岸のベンチを使ったことでボコボコにされてしまう。動きたくないというデニスの上にアルマは跨り、もう一つの二面性は解消した。