カカポ

あのこは貴族のカカポのレビュー・感想・評価

あのこは貴族(2021年製作の映画)
4.0
「あのこは貴族」なんと秀逸なタイトルだろう…と見終わってしみじみしてしまった。この映画が言いたいことは「あのこは貴族、だから…」でも「あのこは貴族、なのに…」でもなくて「あのこは貴族」ただそれだけなんだよね。それ以上でも、それ以下でもなく、ただ私にとってあのこは貴族だった。それ以上何もないのに、世の中がそこに理由を見出して何かと分断を誘っているだけなのではないか。

結婚こそが幸せと育てられた名家の息女・華子と富山から進学のために上京し中退して働く美紀。本来出会うはずのないいわゆる"階層の違う"彼女たちが「幸一郎」という一人の男を経て出会う。
華子役の門脇麦さんと美紀役の水原希子さん、二人とも絶妙かつ素晴らしい役所だったなあ。水原希子さんずいぶん華やかだから上京してきた役って聞いた時かなり心配したんだけどびっくりするくらいしっくり来ていた。石橋静河さんも、もちろん高良健吾くんもとても良かったです!!

東京に住んだことある人なら絶対に感じたことがある"階層"について語られるこの映画。あんまり考えたことなかったけど実はすごく根深くて、特に女たちが家父長制の中で役割を持たされたり、逆に取り上げられたりしていることとかなり関係しているんだなと改めて感じた。

中でも幸一郎が10年付き合いのあった美紀ではなく出会って半年の華子を選んだことが全てを語っているよね。つまるとこ幸一郎は「結婚用の女」と「プライベート用の女」を明確に区別し用途ごとに使い分けようとしていたわけだ。「継ぐ用の男」として育てられた彼にも、家族からも認めてもらえる「結婚用の女」と添い遂げる以外選択肢はないから。

逆に「結婚用」に育てられた華子は婚期を逃すぐらいならと茶菓子も食えない医者とお見合いをしているし、つまり「継ぐ用の男」は家族に認めてもらえるような恥ずかしくない「結婚用の女」を、「結婚用の女」には時期を逃さぬうちに早急に「継ぐ用の男」を当てがう仕組みができているのだ。「継ぐ用の男」にも「結婚用の女」にもそれ以外に選択肢はないから。

これが何をもたらすかというと、男は出身を問わず努力して「継ぐ」に値すれば"上がれる"が、女はそもそも生まれが結婚用でなければチャンスすら与えられないってことなんだよね。つまり茶菓子も食えない医者には華子と結婚して"上がる"チャンスが巡ってくるが、美紀のような「結婚用でない」女に"上がる"チャンスは決して巡ってこない。

階層に従属することで、そこに内包される個々人が与えられた役割から逃れられなくなる。むしろ階層という外殻が、人を形作っていると言っても過言ではない。「結婚」というドラマを通してこんなにもまざまざと"階層"というものの気持ち悪さを描き出した作品は今までなかったんじゃないか。

でもこの映画のすごいところは、それだけじゃない。"階層"が違いすぎる二人の主人公の出会いが、その呪いを解きほぐすところにある。

「結婚用」に育てられた華子には結婚以外に道はない。めでたく出荷が決まれば安定は約束されるがその後の目的を失う。何もかもに満ちた貴族の生活だけど、子供一つ自分の思い通りにはできない。本当に自分のものは何一つない。

一方美紀は自分の意志で生きてきて、貴族とはかけ離れているがひとまず自分の足で立っている。本音を打ち明けられる友達もいて、結婚も子供もこれから何を選ぼうが何もかも自由。そこから"上がれない"社会の養分かもしれないけど、全てが自分で獲得してきた人生。

彼女たちはそんな自分と違う相手の生き方を決して非難しない。ただ相手を受け入れ、互いに遠くから手を振る。どちらが正しいなんてことはなくて、ただ二人の「普通」が違っただけだから。

東京に横たわる"階層"は確かに存在して今も人々を隔てているかもしれないけど、その壁も実は私たちがどこかでそうあってほしいと願っているただの幻で、蓋を開ければそれぞれが思い描く「普通」の生活の集合体でしかないのかもしれない。本当はどこにもない東京の姿を誰もが夢見るのと同じように。

石橋静河さんが演じる逸子の言ってた「いつでも別れられる自分でいる」ってほんといい言葉だなと思った。
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