菩薩

本気のしるし 劇場版の菩薩のレビュー・感想・評価

本気のしるし 劇場版(2020年製作の映画)
4.4
乗りかかった船が泥舟である事に気付いても最後まで自らの意思で降りることが出来なかった男、99%の善意と1%の下心、ただその比率は時と共に移ろい続け、遂に下心が善意を超越した時に彼は船に見放され一人で沈む事になる。その気になればいつでも「手を出せる」隙は観客の興味を持続させ、徐々に膨らむ浮世の借金に比例し物語は面白みを増していく。99%のあざとさと1%の無邪気、本来であればその道を選ぶ筈もない「一理ある」ばかりの方を選択し続ける2人の受け入れる/受け入れられる、探す/探される、追いかける/追いかけられるの関係性は前後半では逆転し、何かと「予想も付かぬ」前半とは打って変わり「予想通り」の過程を辿る後半とで綺麗な対称性を描く。彼女の覆われた虚像が徐々に剥がされ実像が浮かび上がる度に擁護側であった辻はむしろ非難する側へと立ち位置を変えるが、その頃にはこの共感度0.1%であった筈の物語に取り込まれた観客が結局はひたすら健気であった浮世の擁護者に成り代わっている。浮世の「すみません」の連呼と時折姿を表す笑窪が生み出す独特のグルーヴ、酒に弱い彼女のだらしのない酔い姿(よりも「酔ってまっす」の破壊力)、そうこうしている内に完全に植え付けられる「魔性の女」であるとのイメージ、それに翻弄されるのはもはや辻だけでは無く、如何に普段自分達がその様なレッテル貼りの社会の中で生かされ、それに苦しみ・苦め、追い詰められ・追い詰めているかを実感する。幸せになりたいと思いつつ地獄に堕ちてみたいとも思い、幸せになった姿が見たいと思いつつ地獄に堕ちる姿を見てみたいとも思ってしまう人間の性、そんな不条理な人間の生き様の中で唯一まやかしでは無かったのがおそらくは最後の彼女の言葉であり、2人が命からがら辿り着いた先に広がるであろう楽園の姿なのであろう。周囲の意思に流される人生から主体性を持った人生へ、2人の本気の毎日がここから始まる。
菩薩

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