皿と箸

青春の殺人者の皿と箸のレビュー・感想・評価

青春の殺人者(1976年製作の映画)
4.0
映画全体は青春ロードムービーの古典とも
言える内容の中に、現代のスリラー映画にも通ずるサブリミナルや文学的とも言える恐怖演出があり、当時としてはかなり斬新な表現だったのだと推察します。

また「身内を殺したところで他所様から何か言われる筋合いは無いわよ」という市原悦子の台詞はかなりハッとさせられる言葉でした。
この論理はかなり極端な例ですが、他にもパブリックよりプライベートが重んじられる様な表現が諸々出てきて現代との差を感じます。
当時の映画製作のメチャクチャぶりも含めて法の境界線の曖昧さを共同体のコモンセンスによって埋め合わせる事ができていた時代とも言えると思います。

これは「他所は他所」という感受性がまだ70年代はかろうじて残っていたという事を表しているのだと思いました。
80年代を通り越してミドルクラスの崩壊、そしてネット社会の到来と共に今はもうすっかり無くなってしまった感受性です。

作中は親と子の関係性のメタファーとして成田空港建設というモチーフに落とし込むことによって国と個人が形成する地域共同体との軋轢を描いているのだと思います。

一方でその戦いはあくまで個人は蔑ろにされ、私権やコモンセンスが国際協調やグローバル化などと言う大義名分によって犠牲になっていくであろう事が予見され、実際にそうなっていきます。

そして今や「逃走中をリタイヤしただけで炎上する時代やぞ!」とこうなっていくわけです。
つまり今の様な時代が訪れる萌芽がこの頃から既にあり、40年位の歳月をかけて様々な事が劣化し続けていたんだなぁと言うことが映画からも感じ取ることができ、とても興味深かったです。

あとはやっぱり原田美枝子さんは素晴らしいですね。
裸体の美しさもさることながら、
小悪魔的魅力と母性に満ちていてエネルギッシュ。
個人的にはバッファロー66のクリスティーナリッチと同じ方向性の魅力だと思いました。
去勢された男を包み込む女。
よくよく考えたらほとんど同じ様な図式の映画ですが、去勢された男が一線を踏み越えるエネルギーを持っていたのが、90年代になってそのエネルギーすら去勢されたという事を暗示している様で示唆的な対比でした。
皿と箸

皿と箸