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私というパズルのマのレビュー・感想・評価

私というパズル(2020年製作の映画)
4.7
他人の肉体以外の何処にも結びついてないリアルに 無理矢理 押し入って来る安っぽい奴ら。生まれたばかりの子は人でありながらも 同時に 親の破片である事は自明で、ちゃんとその肉体の存在を映像表現としてやってる以上 優しいクズ達(一般人)がそのリアルに侵入してくるこの映画って殆どホームインべージョン的な恐怖。
ネトフリのあらすじは誰が書いたか知らんが"パートナーや家族にも心を閉ざす"とか言ってるけど、話は真逆?で 基本は 勝手に心に侵入して 思い通りの反応が貰えないから勝手にガッカリしてくる人達(パートナーや家族)が邪魔という話だろ。邦題も変っつーか、完全にPieceを"破片" "かけら"じゃなくて パズルとか的外れな意訳?してるし。

キーアイテムっぽく出てきたエコー写真を早々に片付けたり 主人公の"立ち直り"がアバンタイトル以降 から終盤の裁判まで、臭い説明も無く ただ当たり前に個人の中で行われてるのが本当に素晴らしい。錯乱状態の夫に投げつけられた パンパンに張ってるストレッチボールに、煙草の火で穴を開け 空気を抜くだけで 言いたい事は完全に分かる。辛い みたいな感想が多いけど、映画内で終盤まで 露骨に辛がってるのはヴァネッサ・カービーじゃなく夫や母親 周りの人で、本人は粛々と精算するだけ。
話はその上で展開するから無論 単純な立ち直りの話では無くなる。裁判所での尋問で 主人公の選択とその結果について言語化されるけど、あくまでも 反対尋問の結果行われる対峙 に抑えられてるから、他人の過剰な干渉ではない。

見方を変えたら多分 表現してる事は結構痛いとこまでやってて、特に ホロコースト生存者の 極限状態で生き延びてきた という事実と、現実に起きている別問題をズレた形で合致させ 結果 今いる無実の人間を殺す事で"当時"のサバイブを体現しようとする所作への解釈は、間接的ではあるけど ちゃんと否定と肯定を両立させながら サバイブの混合ではなく2つのリアルの共通点として、表現する方法はあるじゃんって思う。
ジャッジと金(数値化)信仰への疑問 というか そもそも、カワイイ動物を盾にレイシズムやってるクズみたいに 赤ちゃんが死んだ!という出来事自体が(主人公の母親以外には?)使われてるだけで、やっぱり当人のリアルにしか事実はないだろ?と起きた事に向き合うことで自然に回帰(当初からそれは明らかだけど)する-その中でホロコーストのエピソードも"適切に"拾われる展開がむちゃくちゃ綺麗。
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