このレビューはネタバレを含みます
主人公リューダが埋葬地を訪れた後に「スターリン時代が恋しい」と言うシーンで感じたことは、ロシア人は、周囲で起こる物事を知る、考える手段が制限されているためか、その物事を「自分ごと」として考えることが出来ないのかもしれない、ということだ。
リューダが恋しがったスターリン時代には、フルシチョフ時代以上に、家族が突然行方不明になったり、処刑されたりすることが頻繁に起こっていた。
ただ、リューダはその時代の"敵"側におらず、「自分ごと」で考えることが妨げられているために、恋しがるのだろう。
何者も突然行方不明になったり殺されたりしない自由な社会の実現は、その国の人々一人一人が「自分ごと」として考えることから始まるだろう。
それはロシア社会だけでなく、日本も例外では無い。