「正義と悪が反転する擬似家族映画」とまとめるとわかるように、ほぼ『万引き家族』のリメイクのような作品なんだけど、役者(特に子役)や音楽、ロードムービーの要素も加わって、ウェルメイドなエンタメ作品になっていた。
「子供が目の前で売買されることを望む刑事」と「子供が温かい家族に渡ることを望むブローカー」という反転構造は、『パラサイト』のよう。ファーストカットの街並みもソンガンホが迎える結末も、パラサイトを意識しているように感じた。
【問いが先に引き延ばされていく構造】
是枝監督の講義を受けたときに「問いが先に引き延ばされていく」ことが、監督の作品の肯定にある「物語の推進力」になっていて、各ブロックの頭に?を提示して、ブロックの終わりでそれを回収していく構成になっている、と言う話をしていたけど、この作品もまさにそう。
①赤ちゃんを捨てている母親は誰?→(戻ってくる)
②彼女と殺人事件の関わりは?→(回収)
③刑事はなぜ現行犯逮捕にこだわる?→(回収)
④母はなぜボックスに赤ちゃんを入れなかった?→(回収)
⑤サンヒョンが擬似家族を大事にする理由は?→(回収)
群像劇的に主体が入れ替わる複雑な構造になっているとはいえ、「わからない」を原動力に物語が進んでいく。だからかなり静的な映画なのに飽きさせない。
ドキュメンタリーの出自が影響しているのだろうけど、展開に応じて人物への理解が深まって、知らなかった世界を知れる。設定が飛んでるだけに予想を超えるような衝撃こそなかったけど、安心してみられる。韓国カルチャー疎いけどIUの魅力もすごく引き出していた。
【当事者のどうにもならなさ】
「自分は生まれて来て良かったのか?」と感じる子供たちにどんな映画を提示できるか、ということが今作の始まりだったとHPにあるように、擬似家族を構成する全員が同じ問題を共通して抱えている。
その一方で、お互いがお互いの傷の原因にもなっているからこそ、「傘」となって雨から自分たちを守れるという一つの提示があった。
やむをえない形で罪を犯してしまったり、妊娠できない身体だったり、大きな借金を抱えていたり、いろんな原因で親を全うできない人がいる。
たまたま恵まれていた立場にいた人が、母親を責めたりボックスの存在を責めたりするけれど、その「どうにもならなさ」を知ったときに本当に同じことが言えるか。そんなことを考えさせられた。
自分は比較的穏やかな人間なので、なぜ人を傷つけるようなことをする人がいるんだろうとか、どうして人に迷惑をかけないと生きられない人がいるんだろうとか、どうして人を騙してまで自分をよく見せるんだろうとか思っていたこともあったけど、そうしないと生きられない人がいることがここ数年でようやくわかったりした。
【是枝裕和×母性】
主張したいテーマがあるときに、対立する主張を持つ敵を置くというのは面白い作品の定石。
今作でも「母親に批判的な目を向ける世間」の代替のような存在がペドゥナ演じる刑事だったけど、彼女たちを追手にすることで作品が立体的になっていたように思う。
「子供を高値で売ろうとしていた母親が母性に目覚める話」とも言えるし、「子供を捨てる母親に憤る刑事自らが母親に代わる話」とも言える、『そして母になる』作品といえる。
だからその過程で、刑事の主観で捉えられたようなショットもすごく効果的で、特におとりの夫婦とのやりとりを遠くから望遠で観察するシーンは、笑いと哀しみが共存していて見事だった。冒頭に書いたような反転構造が立ち上がっている。
ただ割と序盤からブローカー家族に思い入れを持って観ていて、中盤では完全に彼らを応援してしまっているので、観客の代替として置かれていたはずのペドゥナがどこかヴィランのように見えてくるのは、ちょっと入り組んでるな〜と感じた。
この歪みこそが是枝監督の技でもあるし、明確な善悪を設定しない巧さなんだと思うけれど、前半にもう少しだけ「ブローカー=悪」「刑事=善」を強調した方が、反転が際立って面白かったのではないかと思ったりした。
実際、刑事が夫と電話するシーンは個人的にはあまり感動できなかった(あのシーンの音楽が『マグノリア』の曲でテーマを仄かしているのはGood)。
※宇野さんが指摘しているように、ハリウッドに近い韓国スタイル(事前に決め込んだ複雑な脚本)が、フランスとは違って是枝さんに合わない部分もあるのかもしれない。せせこましくて複雑な印象を自分も受けたし、ブローカー2人は仕事を置いといてそんなに夢中になる?とは思って、ある種おとぎ話的なものには見えた。
【ストレートなセリフの聞かせ方】
「傘があればいいんじゃないか?二人で入れる」とか、「生まれてきてくれてありがとう」とか、すごく重要だけど下手したらウェットになってしまうセリフへの演出がよかった。
傘のシーンは、窓の外に手を伸ばすような絵画的な演出が『空気人形』を思い出させたけど、赤ちゃんが母の髪を引っ張っているのとか意外と効いてて、良い意味で「いいシーン」になりすぎず流れていった。
「生まれてきてくれてありがとう」も、この映画全体のムードメーカーである子役のヘジンが起点となって作られたシーンである上に、ソンガンホはステーキを食べているし、部屋を暗くすることでクサくしすぎないのがさすが。
しかも、暗闇にすることで方向性を限定せず、全員にとっての「母親」になったという意味も付与していて、よく思いついたな〜と思う。狙いに来ているクライマックスだから悔しいけど、一番じーんときたシーン。
観覧車の「自分が父親になるよ」というシーンは少し情緒的すぎるし、その前に「雨が降ったら傘を持ってきてよ」というやりとりがあるとはいえ、唐突すぎるかな〜とも感じたけれど、あそこも裏で子供が高所恐怖で吐きそうになっているみたいな工夫があった。
今泉監督は、大事なセリフは目立たない脇役に言わせるといっていたけど、監督によって対策があるんだと思った。
トランクに子供が乗り込んでいるとか、母親が大きな罪を犯しているとか、刑事たちが異常な量の食事をとっているとか、意外とフィクションレベルの高いことをやっているのに、そう感じさせない演出も見事。
【国境を越える個人的な作品】
ほぼ万引き家族じゃん!と感じてしまったり、想像を超える作品ではなかったけど、多くの人にとって見やすい作品にはなっていると思って、テーマを考えてもその意義は大きいと感じた。シフト表のくだりとかみていても、気軽に子供が欲しいとかはもう言えない。
Twitterでインタビューを切り取って騒いでいる人々に監督自身が反論をしていたけど、ああいう人たちのためにこそある映画だと思うな〜。
西川監督もそうだけど、一方から見るだけでは見えない世界とか、悩んだところで答えが出ないこととか、気がつくと考えてしまう個人的なショックとか、そういうところから国境を越えるような作品が生まれるのは興味深いし、すごく勉強になる。