「子は鎹(かすがい)」という言葉がある。
子は夫婦だけでなく、社会の鎹なのだと思う。
子供は助けがないと生きていけない。
周りが助けざるを得ない。
そして多くの人間は、助けざるを得ない存在を前にして、放っておくことはできない。
手を差し伸べたくなる。
人には抱えている傷がある。
傷があるから、人を救いたくなるし、憎みもする。
サンヒョンとスジンは子供を巡って全く違う行動に出るが、根底にあるのは傷だ。
鎹を欲しているのは、手を差し伸べられる側ではなく、差し伸べる側なのかもしれない。
坂道が印象的だった。
序盤、やたらと坂道が出てくる。
「坂道を降りる」と、もう同じ場所には戻ってこれない感じがする。
登るのはどこかに戻る時。
降りるのは何かを手放す時。
『ジョーカー』で、アーサーがステップを踏んで階段を降りたのは、もう元の世界に戻れないのを分かっていたからなのだろう。
YouTubeで、映画における「赤ちゃん」の役割について解説しました。よかったら観てみてください。
https://youtu.be/h--6x6tjr4I
そして…
ここからマイナスのことを書きます…
心温まる映画なのだけど、作為的なものを感じてしまった。
是枝監督は物語のピースとして人を描く。
ぼくはこのやり方が好きになれない。
人の集合体がストーリーを生むのであって、ストーリーのために人がいるわけではない。
人が薄っぺらく感じた。
海も陳腐なものに感じた。
結果、
洗車の一幕や、生まれてきてくれてありがとうという言葉が、取ってつけたように映ってしまった。
是枝監督はどこまでも、社会にもの言う人なのだろう。