sakura

ベイビー・ブローカーのsakuraのレビュー・感想・評価

ベイビー・ブローカー(2022年製作の映画)
4.3
序盤、「無責任な母親が増える」「母親?そうは見えない」という言葉たちに、母親の「責任」って、「母親っぽさ」って、なんだろうか…と思ってしまった。

赤ちゃんポストを訪れる「母親」も、生後数日の我が子の殺人・死体遺棄などで報道される「母親」も、
数ヶ月、いや数日前まではただの一人の人間・女にすぎない。

当たり前だと思うかもしれないけれど、じゃあ、「無責任な母親」「母親には見えない」という人たちと、彼女たちはなにが違うだろう。
受精し、お腹が膨らみ、膨らませていた我が子が胎内から出てきたら、人が、人格が、生物としての種類が、変わるとでも思っているのだろうか。

カン・ドンウォン演じるドンスが本来自身の母親に向けるべき憤りを、IU(イ・ジウン)演じるソヨンに向けるシーンも、幼いとしか言いようがない。
彼の生い立ちはたしかに不幸かもしれないが、そのこととソヨンの人生や選択はまったく別の話だ。
話は映画から反れるけれど、日本の実社会でもこういう人は多い。たとえばわたしはシングルマザーだけれど、シングルマザーが趣味や恋愛を謳歌することと、母親として我が子に注ぐ愛情の量には相関がないのに、「趣味や恋愛に奔走する母親なんて子どもが可哀想」という世間の目。
それとこれとは別の話だ。

そういった「無責任な母親」を咎める役回りのキャラたちに不愉快さを感じるのは、本作が問題提起をすべく、是枝さんおよび制作陣の敵となるようなキャラを配置しているゆえのことで、上記の嫌だったことたちは作品としての良さになっている。

あと、いわゆる「無責任な母親」は孤独ゆえに“育てられない”という結論に至ることが往々にしてあると思うのだけど、こうして育てないことを選んだ瞬間に警察はじめいろんな人たちが寄ってたかってくるの、皮肉だなあと思った。
実際日本でもそうだよね。死亡させてしまった、死体遺棄してしまったあとに、わらわらと湧いてくる人数のうち数人でも、いや一人でも、こうなる前に彼女の近くにいてあげられたら結果は全然違ったのではないか、と思う。
今は思うだけの無力な人間だけれど、生きているうちに孤独な母親のためになにかができる人間になりたい。


そして『万引き家族』に続き、是枝監督らしい擬似家族描写。ソン・ガンホ力(りょく)もあるのだろうが、あまりに微笑ましすぎてこの人たちが家族でどうしていけないのだろうとすら思えてくる。
血縁家族であっても「家族という地獄・牢獄」になることは十分にありえるわけで、母親云々、赤ちゃんポスト云々ももちろんだけど、それ以前に大前提として“家族って一体なんなのだろうか”と思わずにはいられない。

洗車のシーン、よかったな
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