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恋人はアンバー(2020年製作の映画)
4.1
 1995年、アイルランド。田舎町で暮らす高校生エディ(フィン・オシェイ)は少し年の離れた弟との関係も良好だが、軍隊のリーダーの父親と専業主婦の母親はいつも口論が絶えない。訓練場は家のすぐ近くにあり、いつも射撃訓練の弾が飛び交うこの街に生まれた少年の運命は最初から決まったレールを歩く。95年と言えばアイルランドの隣国のイギリスではブリット・ポップ旋風が巻き起こり、『トレインスポッティング』が生み落とされる一歩手前だが、信じられないことにアイルランドでは同性愛が違法でなくなってから2年しか経たないのだから恐れ入る。『ベルファスト』にも見られたように、国民の8割がキリスト教徒という保守的なアイルランドでは、迂闊にゲイとかレズをおいそれと公言できる時代ではない。だがそんな閉鎖的な学校生活に悲鳴を上げる若者が2人いる。童貞をからかわれ続けるエディは適当に見繕ったクラスメイトを誘惑し、涙ぐましい努力でABCのステップを試みるものの、どういうわけか勃たないのだ。身体は正直でも心が弾まぬ失意の恋のあと、自転車で疾走する彼の背中めがけて石が飛んで来る。その犯人はクラスメイトのアンバー(ローラ・ペティクルー)という小生意気な少女だった。

 エディとアンバーのボーイ・ミーツ・ガールは互いに人に言えない秘密を持っている。少年少女は同性愛者なのだ。おいそれとカミング・アウトなど出来る空気にない当時の穏健な学生生活では、互いがゲイやレズビアンであることをとにかく隠すより他ない。そこで2人が思い付いたのが「ビジネス・カップル」としての仮初めの恋だった。キスまではしても、異性のカラダにまったく興味のない2人の恋はどうにも進展しない。だがそれで良いのだ。父親が自殺し、貧しいトレーラー・ハウスで母親と2人っきりで暮らすアンバーはオアシスが流行りを迎えてもなお、Bikini Killのパンク・スピリットに熱狂する。対するエディは軍人の父親と保守的な家庭に生まれ育ったが、軍の上層部に務める父親の稼ぎは大きい。サブカルに夢中になる貧しい少女と、軍人のレールを敷かれた良いとこの少年の対比。奇々怪々な恋のさや当てから逃れることで生まれる2人の共感は実に素敵で、青春時代を思い返しながら胸がキュンキュンする。親友ではなく、心友を持てた幸せは理想的な異性の恋人を見つけることよりも数倍幸せなことなのだが、若い2人は苦しみの只中に居て、そのことになかなか気付けない。

 単純にLGBTQと言っても、それぞれの価値観や生い立ち、目標や社会との兼ね合いは人それぞれなのだと思わされる。アンバーのモットーは自分自身に正直にであり、高校生の間だけ穏当にしていればあとは自由なのだ。彼女の思考は実にオープンであっけらかんとしている。それとは対照的に厳格な軍人の父に育てられた長男坊のエディはホモセクシュアルであることにひたすらカギをかけようとする。隠そう隠そうとして苦悩する。オープン・スタンスとクローズド・スタンスとのレイヤーの違いそのものが青春映画の未来に暗い影を落とす。ミリタリー・グッズやファッションでイミテーションを施したエディがスケッチブックに書き殴った痛々しい男根のイメージは、主人公の母親ハンナ(シャロン・ホーガン)によりゴミ箱から救い出されるのだ。今作は青春群像劇でありながら、他者を認め合うことの愛おしさに溢れる。中盤以降、じわじわ涙腺が緩み続け、ハンカチで涙を拭った。願わくば結びは、2人のルーム・シェアでも良かったのではないかと思わされる。茫然とするエディとアンバーの優しさに涙が止まらなくなる。初めてエディの家を訪ねたアンバーの無理し過ぎたファッションが目に焼き付いて離れない。90年代青春映画の新たなる金字塔の誕生だ。
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