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ビリー・アイリッシュ 世界は少しぼやけているのsomaddesignのレビュー・感想・評価

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金の卵を産むガチョウから見た世界

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弱冠18歳にして主要4部門制覇の快挙を成し遂げたアーティスト、ビリー・アイリッシュに密着したドキュメンタリー。

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アップル映画初体験。
ミュージシャンのドキュメンタリー映画で、現在進行形で先頭を走るアーティストに密着した映画って珍しい。カメラの前であんなに自然体でいられるまで、どうやって信頼関係を築いたのか気になる。家族が撮った映像も多くて、スマホで気軽に映像を記録できる時代だからこその映画でもあった。

映画館で場内が真っ暗になって上映が始まった瞬間に思い出した
「わし、ビリー・アイリッシュのことほとんど知らねえ」
知ってることと言えば、BAD GUYと兄がプロデューサー、最近トゥレット障を告白したり、アジア人差別発言で謝罪してたくらい。

兄の寝室で曲作りをしていた少女が、世界的なスーパースターになるまで。具体的には2018年から2020年1月までの1年ちょっとの密着だと思われる。

曲の大ヒットと裏腹に、激変する周囲に心も体も追っつかない。ただでさえまだ若く、不安定なのに有象無象がウヨウヨ湧いて出る。
これまで何人もの天才少年・少女が食い物にされたのを知ってるし、その過程すらワイドショー的に消費される。頂点を期待されると同時に、転落も期待されてる残酷ショーの一端を見た気分。
最近だとブリトニー・スピアーズの件。成年後見人制度で父親から搾取される実情を告発。発言の真贋はさておき、お騒がせセレブとしてオモチャにされてた背景には、好奇の目に晒され続けたこともあるはず。

どこに行ってもファンがいて、スマホのカメラが蓮コラばりに向けられ、行動は逐一ネットにアップされる。現代においてスーパースターでいることは映画「トゥルーマン・ショー」の主人公になるようなもんだ。それでいて自覚的に「スーパースター」でいることを引き受けて見える。彼女の覚悟のデカさの一方、背負うもののデカさをどこまで自覚できてるか分からない。

幸い家族全員エンタメ業界の人で、家族/同僚両面の立場でサポートしてるのが救い。それでも楽屋挨拶で、レーベルやレコード会社の関係者に延々と付き合わされるの大変そう。ファンでもないのに写真を撮りたがり、後で自慢のタネに利用されるの分かっててもニコニコ応対しなきゃいけないの、気分いいハズがない。

監督は「ファッションが教えてくれること」のR・J・カトラー。
被写体に近づきすぎることなく、ナレーションで観客を誘導しない。観察スタイルの硬質なドキュメンタリー監督な印象。
まだ若く未熟な天才に温かい視線を送りつつ、音楽業界で成功するための犠牲を冷徹に写し出す。

ジャスティン・ビーバーが「若くしてスターになり、それまでの人生からハチャメチャになった」経験の先輩として、ビリーを優しくサポートしようとしてるの泣ける。同じ苦しみを味わったからこそ分かることだったり、わざわざ自分と同じ苦労をする必要はないし、何より寄り添ってくれる人の存在の有難味を体現してるようで、ビリー・アイリッシュの映画なのにジャスティン・ビーバーの株が爆上がり。(一方その頃、オーランド・ブルームのチャラ味ときたら…)

若く才能ある少年少女が、大人達の金の卵を産むガチョウにされる姿を何度も見てるので、どうしても悲観的に見ちゃう。観察型ドキュメンタリーといえど、ビリー・アイリッシュに都合の悪いことは映してるハズはなく啓蒙映画の側面は否めない。才能を食い物にする一端に加担したみたいで後味悪かったので評価は保留。


余談)
菅 浩江の傑作『永遠の森 博物館惑星』にも「享ける形の手」って一遍が思い起こされる。かつては革新的で天才少女ともてはやされたダンサー。次第に同じスタイルを真似する人達が現れたり、プロデューサーの過剰な演出や搾取に自由を奪われ、20歳を超える頃には飽きられてしまう。アートとお金、若さや才能、創造と消費…に翻弄される物語で面白いと同時に考えさせられる。

36本目
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