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ドライブ・マイ・カーのmanamiのレビュー・感想・評価

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
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個人的に辛い設定があったので途中離脱、そのまま先延ばしにしていたのを、遅ればせながら最後まで鑑賞。インターナショナル版、ってオリジナルと何が違うのかは不明だけど。
お手本のような起承転結構成。
まず起句は西島秀俊演じる家福悠介と、霧島れいか演じる音、夫婦の物語が描かれる。ここだけでは腑に落ちない点が、のちのち効果的に明らかになっていくのが見事。そして三浦透子が出てるって印象が強いのにぜんっぜん登場しなくて「???」ってなる。
2年の月日が流れた承句では、場所も東京から広島へと移り、三浦透子ほか登場人物もいっきに増える。多国籍演劇のオーディションと、その後の稽古風景。「本当に他人を見たいと思うなら、自分自身を深くまっすぐ見つめなきゃならない」そう語る彼を降ろした後、後部座席から助手席へと移ると、二人は紫炎を燻らせる。夜空へと掲げるその手は、亡き者への弔いとして焚かれているようにも見える。
転句はまさに一転してロードムービー。たった二日間の出来事だし、作品としても時間的な割合は多くない印象だけど、この旅が二人に及ぼす影響は人生を一変させるほどのものだ。
「死ぬ」ことによって生まれるもの、「生きる」ことが内包せざるを得ない業、「殺す」とはどこからどこまでを指すのか、「生き残る」とは感謝すべきことなのか、するとしたら誰に、何に?
結句は演劇祭の当日。演目はチェーホフの『ワーニャ伯父さん』で、これもまた大事な役割りを果たすこととなる。この劇中劇をこの役者で演じることの必然性がとても高く、話が進むほどになるほどなぁと感心させられる。ステージ上と客席とで離れていても、二人が共鳴しているのが伝わってくる。途中、舞台袖で辛そうにしている場面があるけど、スポットライトの向こう側で観ている存在の心強さが、光の中へと戻してくれたのだろう。
私的で詩的な会話が延々と紡がれる中、印象的だったあるフレーズについて。ある人が他人からの親切な申し出を断るときにいつも使うそれが、本人は波風立てないようにって意識なんだろうけど、慇懃無礼に近いものがあるよなぁと気になっていて。そしたら後半の重要な場面で、違う人物の言葉にそれがまた出てきて、でも同じ一言でもこんなにも違う響きを持つんだなぁと驚かされる。相手への想いがのっている言葉の持つ力に心を打たれる。さらにラストでまた同じフレーズが発せられ、その表情や口調からは満ち足りた日々を感じ取ることができる。
3時間という長さと、けして楽しくはないテーマとで、ところどころ苦しくもなる。でも美しい手の動きによって語られる作品全体の主題とも言えるセリフたち、そしてマスクを外して変化を見せてくれることで確実に救われる。

それにしてもエンドロールの吉田大八には驚かされたわ。

160(1200レビュー👏)
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