シゲーニョ

ウェディング・シンガーのシゲーニョのレビュー・感想・評価

ウェディング・シンガー(1998年製作の映画)
4.2
青春映画とか恋愛モノでは、その作品内で描かれる時代背景が、劇場公開時と異なる(=リアルタイムでは無い)ケースがよくある。
[注:「恋に落ちたシェイクスピア(98年)」のような歴史劇、コスチュームプレイは、ここでは含まれない]

例えば、70年代に公開された「アメリカン・グラフティ(73年)」は1962年、80年代の「ダーティ・ダンシング(87年)」は1963年、ゼロ年代の「あの頃ペニーレインと(00年)」は1972年、テン年代の「シング・ストリート 未来へのうた(16年)」は1985年を、それぞれ物語の時代設定としていた。

あくまでも勝手な推論だが、これらはクリエイターたちに「自分の若かりし頃を振り返る」という思いが募った時に起こる、いわば不可避な現象と言えるだろう。
(特にリチャード・リンクレイターとポール・トーマス・アンダーソンは、その顕著な例かもしれない…)

本作「ウェディング・シンガー(98年)」もそんな中のひとつ。

主演アダム・サンドラーと監督フランク・コーチ、脚本ティム・ハーリヒーは、共にニューヨークで生まれ育った同世代で、学生時代からの友人関係。
「僕らは、青春時代の多くの時間を80年代の郊外で過ごしてきた。この作品ではその時の生活、人間関係、そして人生の大きな節目となる“結婚”について描きたかったんだ」と、サンドラーが公開時のインタビューで答えているように、本作で描かれているのは1985年。彼らが高校を卒業して4、5年、良くも悪くも「大人社会」になじみ始めた頃のハナシだ。

物語は至ってシンプルでオーソドックス。
学生時代、ロックバンドのイケイケヴォーカルだったロビー(アダム・サンドラー)は、現在、結婚式を盛り上げるウェディング・シンガーとして生計を立てている。そんなある日、ウェイトレスのジュリア(ドリュー・バリモア)と出会い、互いに自分の結婚式を控え、意気投合するも、ロビーのフィアンセがなんと結婚式当日にバックレ!!自暴自棄になったロビーを元気づけるジュリアに、ロビーは次第に惹かれていく……という展開。

このように、本作は普遍性に富んだ「愛や結婚」をテーマにした映画だ。
だから、誰にも訪れる、身近な体験から生じる愁いや喜びがたくさん詰まっている。

しかし、本作を心底楽しむのには、かなり、人を選ぶというか、難易度が高いと言わざるを得ない。
それは本作で描かれる時代=80年代を過ごし、特に1985年の世相をハッキリ記憶している人、あるいは体験せずとも、強い思い入れのある人でなければ分からない、ネタやギャグが満載だからである。

さらに付け加えれば、本作のキモが公開年の13年前、1985年という“中途半端な”古い時代設定にしている点だ。仮に時代設定を30年前くらいにしていたら、ファッションも音楽も一回りして、カッコよく見えるかもしれない。でも13年前というハンパな昔だから、公開当時の観客からすれば、何もかもダサく感じてしまうのだ。

つまり本作「ウェディング・シンガー」は、実のところ、“恥ずかしいちょっと昔” 80年代を笑い飛ばす、かなり底意地の悪いロマンティック・コメディなのである!!

そのため、日本の配給会社は、ロマコメにしては、ファッションや音楽に“妙ちくりん”なところが多々ある本作の意図を汲み取ることができず、全米でスマッシュヒットしたにも拘らず、すぐに公開せずに1年間もオクラ入り…。

さらには「アメリカで公開した時、大好きな人と観ると幸せになれるという、〈噂〉があったことをご存じですか?」というナレーションを、予告編ではクリス・ペプラーに、TVスポットでは当時トップアイドルだった広末涼子に語らせるというプロモーションを打つなど、本作が“おバカ映画”である面を巧妙に隠し、ひたすら爽やかな恋愛映画であることを強調した。(当然、そんな噂は存在せず、配給会社の捏造である…笑)

自分は全米公開時、深夜CNNの「Showbiz」で流れた予告編で、映し出されるサンドラーの体を張ったバカ演技や、バックに聴こえるデッド・オア・アライブの「You Spin Me Round(84年)」、ファルコの「Der Kommissar(82年)」によって、本作の主題を一瞬で見抜いたが(笑)、先述した宣伝を信じた日本のお客様たちにはそんなことなど分かる筈もなく、都内での劇場が日比谷みゆき座という、どちらかと云えば、客層がご年配のご婦人が多いイメージのある映画館で公開されたことも併せて、終幕後、館内の照明が明るくなるや、そそくさと首を傾げながら帰るオバサマ方やカップルの姿を、今でもなんとなく覚えている…。

[注:日本の予告編やTVスポットが、本作が80年代を懐古した映画であることをちゃんと伝えていたとしても、BGMがトンプソン・ツインズの「Hold Me Now(84年)」やスパンダー・バレエの「True(83年)」といったメロウな曲を使用した事は、けっして捏造では無いが、やはり反則技だったと思わざるを得ない…]

襟足を伸ばし、こんもり盛り上がった、ボン・ジョヴィやナイト・レンジャーといったアリーナロックのミュージシャンのようなヘアスタイル(日本でいうなら安全地帯時代の玉置浩二)で、極彩色のスーツに身を包みシンセ・ポップを熱唱するロビーの姿はギャグ以外の何ものでもない。

ロビーのマブダチのサミー(アレン・コヴァート)がいつも着ているのは、マイケル・ジャクソンが「Beat It(82年)」のPVで羽織っていたレザージャケット。一方、ロビーの商売敵である宴会歌手ジミー(ジョン・ロヴィッツ)は、プリンス風の緑色のペイズリー柄のスーツを着ている。これは1985年が、マイケル・ジャクソンとプリンス、両者の人気が逆転した年だったことを婉曲的に顕しているのだ(笑)。

またロビーがジュリアの式場の下見に付き添った時、そのコンシェルジュが二人を恋人同士と勘違いして、「私は職業柄、相性の良い、人生を幸せに添い遂げるカップルが分かる。あなたたちがそうね!まるでウディ・アレンとミア・ファロー、バート・レイノルズとロニー・アンダーソン、ドナルド・トランプとイヴァナみたい!」と言うのだが、その喩えた3組は85年当時、理想のおしどりカップルだったが、公開時の98年には皆、破局を迎えていた。

極め付けは、どういう風の吹き回しか分からないが、勝手に婚約破棄した許嫁のリンダ(アンジェラ・フェザーストーン)がロビーの処に突然戻ってくるシーン。

この時、リンダはヴァン・ヘイレンのTシャツを着ており、怒り心頭のロビーに開口一番「Tシャツを脱げ!ヴァン・ヘイレンのメンバーに失礼だろ!」と大変ごもっともな注意を受ける訳だが、ここで注目すべきは、それがヴァン・ヘイレンの2ndアルバム「伝説の爆撃機(79年)」のジャケットをプリントした着古しのTシャツであること。

「スパンデックスを履いてたデイブ・リー・ロスみたいな昔のアナタが好きだったのに…」と、リンダが別離を決めた理由を語ったことでも判るように、彼女はデイブ・リー・ロスの熱狂的ファンなのだが、実は85年春に、すでにディヴ・リー・ロスはバンドから脱退。
[注:このシーンの時季は、木々が紅葉している点から、85年秋であることは間違いない!!]
つまり、リンダは現実を受け止められず、過去の思い出ばかりに浸るようなイタイ女性であることを暗示しているわけだ。(もちろんグルーピー体質で、相手のステイタスに価値を見いだしてしまうタイプでもあるが…)

他にも…

ロビーのバンドのキーボード(アレクシス・アークエット)がボーイ・ジョージそっくりで、唯一の持ち歌が結婚式ではご法度の失恋ソング「Do You Really Want to Hurt Me(君は完璧さ/82年)」だったり…

ジュリアのフィアンセ(マシュー・グレイブ)がTVドラマ「マイアミ・バイス(84年〜89年)」のドン・ジョンソン風パステルカラーのサマージャケット着て、ジョージ・マイケル風無精ヒゲ生やしたバブリーな証券マンだったり…

ジュリアの従姉妹ホリー(クリスティン・テイラー)が「スーザンを探して(85年)」や「Into The Groove(85年)」時代のマドンナ・ルックだったり…

TVドラマ「ダラス(78年〜91年)」を観ているロビーの義兄アンディ(フランク・シベロ)が「今、JRが殺されそうだから、外出できない!」とリビングで叫んだり…etc。

[注:「ダラス」はテキサスの石油成金一家の愛憎劇を描いたソープオペラで、悪役のJR(ラリー・ハグマン)が人気爆発するや否や、最高視聴率53.3パーセントを叩き出し、“放送日の金曜夜9時には、街を出歩く人は誰もいない”と言われた程の国民的TV番組]

このように、98年の公開年だからこそ笑えるギャグがテンコ盛りなのだが、もちろん、今観ても80年代のダサさは笑いのツボを突くには十分なところがあると思う…(ただし、ドン引きする可能性も大)。

そして、本作をより魅力的にしているのは、主人公二人を演じた、アダム・サンドラーとドリュー・バリモアの存在だろう。

ロビーを演じたアダム・サンドラーは、アメリカ3大ネットワークの一つ、NBCテレビ製作の「サタデー・ナイト・ライブ(以下SNL)」出身のコメディアン。SNL時代のサンドラーは見た目の童顔に合わせて知恵遅れのギャグばかり。初めての主演映画「ビリー・マジソン/一日一善(95年)」でも、あまりにも幼稚なので“小学1年生から勉強をやり直す三十男”の役(!!)。また、これまでにコミック・シンガーとして5枚のアルバムをリリースしているが、どの曲もちっちゃな子供が喜ぶようなウ○コ、チ○コネタ…。

なので、結婚式当日に花嫁に逃げられ、子供がダダをこねて、癇癪を起こしたかのように周りに当たり散らす本作でのロビーは、ドンピシャのハマり役と言えるだろう。

特に失意のどん底に陥り、他人様の結婚式で、暴言吐きまくりの歌をがなり立てて、メチャクチャにしてしまうシーンは最高の一言。

マドンナの「Holiday(83年)」をポロポロ泣きながら唸り、客からは「陰気に歌うな!」と野次を飛ばされ、挙げ句の果ては「愛ってヤツは人泣かせ/死んじまえ!/愛なんてクソ喰らえ!」という歌詞、J・ガイルズ・バンドの「Love Stinks(80年)」を吐き捨てるように歌って、花婿のオヤジにブン殴られる始末…。

たしかに、仕事に私情を挟んで、お客の結婚式をブチ壊すというのは、八つ当たりにしても、度を越し過ぎていると思うし、観ていて救いようがなく、感情移入できないかもしれない。
しかし個人的には、そう、目くじらを立てないで(笑)、まぁ、カラオケでもなんでも、“落ち込んでいる時に人前で歌うのはやめましょう”という教訓くらいに受け止めて、スルーするのが正解だと思う。

このようにおバカでチャイルディッシュなキャラが売りのサンドラーだが、本作をきっかけに、恋愛モノもイケることを証明し、スター俳優の地位を獲得することになる。

オトコの自分から観ても、母性本能をくすぐる表情というか、持ち前の優しさが滲み出る笑顔とでもいうか、はにかんだ時、気後れした時、その心情が素直に出るサンドラーの顔、その演技を魅力的に感じてしまった。

そしてジュリアを演じたドリュー・バリモアにとっても、本作は重要作と言えるだろう。

天才子役として一世を風靡しながら、9歳でアル中、12歳でコカイン中毒、19歳でバーテンと結婚して即離婚と、私生活の混乱によって、90年代にはすっかり悪女役が板についてしまったドリューだったが、本作での清純なヒロインを演じきることで、劇的な再ブレイクを遂げることになる。

清純派ブリブリ感がちょっと強めに感じるキライもあるが、全然嫌味じゃなく仔犬みたいにカワイイ。その愛くるしい笑顔は無邪気で無防備に見え、出会った瞬間から打ち解けられそうな感じがしてしまうのだ。
また、外跳ねしている金髪ボブがすんごく似合う!!

劇中後半、ジュリアが鏡の前で、理想の恋人との結婚式を想像しながら自己紹介の練習をするシーンがある。

相手の苗字に自分の名前をつなげてみたり、小さな声で呟いてみたり…恋する女の子なら誰でもやってしまうことなのか、自分のようなオッサンには全く分からないが(汗)、交互に見せる、溢れる笑顔と、妄想に駆られトロンと微睡む表情は、今でも思い返すたびに、なんだか幸せな気分になってしまう(笑)。


本作「ウェディング・シンガー」は、いたって結婚願望の強い二人が、紆余曲折ありながらも、互いが運命の人であることに気づく物語であり、改めて“結婚とは何か”を考えさせてくれる良質な作品と言えるだろう。

金持ちの証券マンとの結婚に気分はルンルン…と思いきや、「本当にこの人でいいの?」と悩んでいるジュリア。
一方のロビーも、自分には異性にアピールするものが何も無いと、自己嫌悪に陥っている。
家もない、金もない、仕事も自慢できるモノじゃない…結婚式に列席するお客さんの目当ては食事で、ボクの歌なんて添え物なんだと、アイデンティティすら見失っている。

でも…大切なのはお金じゃない。本当に欲しいのは便利なモノじゃないと、二人は徐々に接近していく中で、気づかされていく。

どんな小さなことでもイイから「自分のことを考えてくれる、想ってくれる」、そんなことが感じられる言動を相手がしてくれること。それが何よりも嬉しいはず。
互いに想い合う気持ちがなければ、どんなにお金持ちになっても、その価値を喜び、分かち合うことなど出来ないのだから…。

たしかに1980年代は、いわゆるバブル時代。何もかもが派手でカラフルで、ゴテゴテで大胆な時代だった。
裏を返せば、軽薄で拝金主義がまかり通った、不届き至極な時代だったとも言えるだろう。
だからこそ、本作はその反感として、“お金より愛”と声高に叫んでいるのかもしれない。
ドレスでも、指輪でも、歌でもない。誠実な愛と、それを見極める目が重要なのだということを…。

そしてジュリアが、リンダとの破局の原因をロビーに尋ねるシーン。
「運命の相手じゃなかったんだ」と答えたロビーは、ジュリアに「今の彼氏は運命の人?」と問いかける。
その時答えたジュリアの言葉、それは「一緒に年を取っていく姿を想像しているところなの…」。

一緒に老いていく姿をイメージすること。つまり、老夫婦になったときのことを想像できるか。
相手がおじいちゃん、おばあちゃんになった姿を見たいと自然に思えるようになったら、運命の人だという証拠なのだろう。

ジュリアの言葉を受け、思い巡らすロビーだったが、その背中を押す友人たちがまた、激アツでグッと来る。
腐れ縁で悪友のサミーは「運命の愛を見つけたら諦めるな!」と助言する。
そして、子供の頃から面倒を見てくれた近所のお婆ちゃんロージー(エレン・アルベルティーニ・ダウ)の言葉。
「運命の相手とは、好きとかいう感情だけじゃなくて、一緒にいることで自分が特別に思えるような人よ!」

そんな応援を背に、ロビーは終盤、ジュリアに自作の歌「Grow Old With You」を贈るのだ。
「皿洗いはボクがやる/飲み過ぎたら介抱して/きっとボクとなら楽しく歳を取れる/君と一緒に老いていきたい」

繰り返しになるが、本作はあまりにもシンプルでクラシカルな恋夢物語である。
80年代、90年代を経て、21世紀の今を生きる自分は、当然、その間に挫折を経験し、「人生、そんな夢のように甘いもんじゃない!」ってことは、分かりきっている。
また、現在、アラサーで、お子さんのいる方には「ハァ?くだらねぇ…!!」の一言で終わる映画かもしれない。

でも、初鑑賞時、ロビーとジュリア二人の心根の優しさというか、健気な純情さにすっかり絆されてしまった結果、三十過ぎのオッサンだった自分のくすんだ心が、ホーっと癒されてしまったのだ。

なので、マリッジブルーの人とか、自分のココロがチョッピリ汚れてしまったと思った人がいたら、年齢・性別関係なく、本作を観ることをオススメするようにしている。(ただし、その効能は今のところ、人それぞれです…笑)


最後に…

1985年を舞台にした本作「ウェディング・シンガー」には、当時、青春を謳歌した方々の古傷を抉るような80年代のMTVヒット曲が連打されており、聴いていて、涙で轟沈されることは、ほぼ間違いない。
しかも、どの曲いずれも、登場人物たちの心情に上手くマッチしている。

婚約者に逃げられ、メソメソしながらフテ寝するロビーの場面に流れるのが、「笑い飛ばして誤魔化そうとしたんだ/だって男の子は泣いちゃダメなんだ」と歌うザ・キュアーの「Boys Don't Cry(80年)」。

優しいジュリアに招かれたパーティで、失恋で塞ぎ込んだ自分が恥ずかしいゆえか、上手くその場を取り繕うことが出来ないロビーのバックに流れるのが、カジャグーグーの「Too Shy(83年)」。

ジュリアの結婚式の準備、その手助けをするロビーの気持ちに芽生えてしまった“恋心”を、「僕が欲しい物を君が持っている/(中略)僕には溢れるほどのアイデアと、撒き散らされた夢がいっぱい/君なら全部まとめられる/そうさ!君が僕の夢を叶えてくれるんだ!」と、歌ったホール&オーツの「You Make My Dreams(80年)」。

マトモな職についてお金儲けすれば、女の子にモテると思ったロビーの気持ちを代弁する、フライング・リザーズの「Money(That’s I Want)(79年)」。

愛しているのはセレブの彼氏かロビーなのか、思い悩むジュリアの本心が窺えるシーンでは、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの「Do You Believe in Love(82年)」が聴こえてくる…。

だが、なんといっても、一番印象に残るのは、本作の最初と最後にしか出てこない、あのヒトが歌う、スパンダー・バレエの「True(83年)」。しかも口パクじゃなく、生歌・生演奏なのだ!!

「ボクには分かる/これが真実だということを/二人の愛が本物であるということを…」

ここまで書いてきて正直に申せば…
エンドクレジットにも表記されないこの俳優○○に、冒頭、身内の結婚式をぶち壊し、泣きわめき、やりたい放題やられて、さらに最後の最後、歌って映画を締めるという、おいしいところを全部もっていっていかれてしまった印象が拭えないのである…(爆)