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明日の食卓のsomaddesignのレビュー・感想・評価

明日の食卓(2021年製作の映画)
5.0
対岸のことのようだけど、我が事の延長と捉えればしんどくもあり、苦しいのは自分だけじゃないと思えてラクに感じる人もいるかも。

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2人の息子を育てる43歳のフリーライター、アルバイトを掛け持ちする30歳のシングルマザー、優等生の息子と裕福に暮らす36歳の専業主婦。年齢も住む場所も家庭環境も異なる彼女たちには、“石橋ユウ”という名前の小学5年生の息子がいるという共通点があった。それぞれ忙しくも幸せな毎日を送る彼女たちだったが、些細な出来事をきっかけにその生活が崩れ……。

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原作未読。
子供の頃の自分と親世代になった自分、両面からしんどい映画だった。5年生の自分がどれだけ親に心配かけてたか、心当たりが蘇ってしんどい(;´Д`A
加えて、ままならない子育ての苦しさが身に迫って尚しんどい。
幼年期を過ぎて反抗期の入り口にいる男の子って、自分自身のその頃を思い返してもキツい。子供同士の社会もできて、親の目の届かないパーソナルな世界を楽しみだす頃。大人に秘密にする楽しみと、大人は分かっちゃくれない苛立ちに振り回されてた。

ママの苦闘を三者三様に描いてるけど、共通してるのはワンオペ育児のしんどさ。シングルマザーの加奈を筆頭に、他二人の旦那が仕事に逃げるか男兄弟の一部になっちゃう。子育てに真摯に向き合おうとするほど、周囲の理解も協力も得られず孤独を深めてしまう。対岸の火事ではなくて、どこの家庭の誰でもに起こり得る闇を描いてるし、幼児じゃなくて少年期の男の子が対象なのも興味深かった。母親からすると男の子ってマジで(人間以外の)別の生き物に思える瞬間があるらしいし。

ワンオペ育児に振り回される母親たちの映画である一方で、大人の勝手に振り回される子供の悲劇でもあった。終盤のあのセリフは堪えるなあ。「そんな先のこと誰にも分からないんだから、結果論で物言うのやめーや」とは思うものの、じゃあその結果を回避する努力が足りてたか、『しょうがない』で振り回される子供はたまったもんじゃねえよな……と、自分の中の大人と子供がグルグル循環してしまう。心を散り散りにされたよう。

菅野美穂の毎日が戦争状態を乗り切ってる、実生活を盛り込んだリアリティが素晴らしかった。母や妻といった役割以前の自分の価値を取り戻そうとする姿が痛々しいし、周囲はあくまで役割だけを責務として負わせる狭間で引き裂かれるのも切ない。(旦那の仕事が不安定だし、将来を考えて食い扶持を増やしたい思いもあったハズ)

尾野真千子は「君はいい子」以来、近年似た役柄多い。ワンオペ育児に行き詰まって結果的にネグレクトになったり、「そして父になる」みたく子供への愛と理想と現実に翻弄されがち。何度もやってる役で安定感あるのに、毎度新鮮な味付けを加えるのすげえ。今作だと義実家との関係もあって、「SWALLOW」のハンターみたい。食べてもらえない食事を作っては捨ててそうな、徒労と無力感を纏ってて素晴らしかった。

兎にも角にも高畑充希の熱演光る。
加奈親子は貧しくともひたむきで、三組の中では最も幸福な家庭に見えた。貧しくて忙しくてもインスタントに頼らず、手作りの夕食をパパッと用意するフード描写が温かい。(インスタントや冷凍食品が自炊に比べて割高ってもあるだろう)
だけど子供の立場からみれば、過剰なまでに頑張ってくれる親の存在って有難いけど息苦しくなりそう。自分の存在自体が大好きなお母さんを苦しめてるかと思うと、消えてしまいそうな気にもなるし、生まれてこなけりゃ良かったと考えちゃうのも分かる。(今どきTVもラジオもなくて、古新聞で世情に触れてたけど、スマホあれば十分な気もする。通信料金の節約もあるだろうし、わざわざ新聞を読む描写を入れることで、加奈の知的レベルの高さを伺い知る感じか?)
高畑充希が大阪弁カンペキですげえ!と驚いたら、大阪出身でネイティブなの初めて知った。女手一つ肝っ玉母ちゃん像とは違う、等身大で生活を回す姿が痛々しい。芯は強いが線の細い、強さと弱さが同居した佇まい。惜しむらくは、美人すぎて毎日14時間労働でくたびれてる人に見えないあたりか。


それにしても突然の大島優子。原作がそういう作りらしいので映画のせいじゃないけど、後出しジャンケン感がすごい。ある種の叙述トリックといえば、そうだけど。そうなんだけどね……。もっと上手に騙して欲しかった気がする。

クライマックスで映画のテーマを全部セリフで喋っちゃうのも興冷め。あの言葉は胸に刺さるけど、あれで改心する子供ならあんなに抉れないと思う。
女性が主軸の映画なので、対になる男性陣の描かれ方がどうかといえば、掘り下げる気を感じられなかったのが残念。ダメ父親のダメっぷりが典型で、三者三様の母親の在り様に比べて浅く見えてしまった。全く無関心な父親と3人目の息子になってしまう父親って、俯瞰すると同じことの裏表かもしれない。祖母の真実を目の当たりにして慟哭するシーンは、この先自分にも起こらないとも限らなくてキツかった。

あと原作にあるのかもしれないけど、福島出身で除染作業に従事する祖父の設定はどういう意味があったんだろう?🤔義母との対比?



31本目
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