YM

スペンサー ダイアナの決意のYMのネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

いまのところ、今年いちばん好きな作品に出会えたかも!
脚本・演出・キャスティングどれをとっても端正かつ抑制が効いていて、必要十分な画作りがかえって胸に迫るものをつくっている。CHANEL全面協力の衣裳も素晴らしいから、これのために映画を観るのもいいと思った。
クリスマス・イヴからはじまる3日間、英王室の全員が集う城で、次第にダイアナ妃はその空気に耐えられず狂気一歩手前の淵へ吸い込まれていく。そのさまを、ダイアナ妃の重要なアイテムである「車」と、城にあらわれる亡霊、神出鬼没かつこちらを見透かすように見つめてくるがこちらからはその内面を窺い知ることができない無表情を貫く不気味なモブ侍従たち……が丹念に描く。
誰もが思うとおり、キューブリックの『シャイニング』の引用といえるだろう。冒頭のダイアナ妃が運転する車が城に近づいていくのを空撮するカットはその宣言といえる。
それでいうと、いちばん私が「キューブリックぽいな」と思ったのは、ティモシー・スポール演じる侍従長が、ダイアナが摘み食いしている食料庫のむこうからスッと入ってきてそのまましばらく立って見ている場面。『シャイニング』とか『2001年』とかの、「ホラーといえるかどうかはわからないけどなんだか怖気をもたらす」テイストのようなものがあった。もちろん、左右対称のカットの連続はいうにおよばず。
だが、『シャイニング』ではジャックは狂気の淵から落ち「ホテル」に飲まれてしまうが、『スペンサー』のダイアナはそうはならない。快方/解放へと向かうのだ。そして今作が描くそれはなにより美しい瞬間である。
そもそも今作で描かれるダイアナの狂気はたしかに狂気だが、それは王室という別種の「狂気」に耐えられないという思いが産んだものである。その思いは、ふつう、一般人にとって、「正気」である。自分を追い詰めているように思えたアン王女の亡霊と見つめ合い、みずから真珠のネックレスをひきちぎり、少女時代の姿で走りだし、いまの姿へと変わってもなお走りつづけるダイアナの姿は、自身の正気を貫くべく離婚し王室を出ていくという歴史的な意思を固めた覚悟の瞬間として、雄弁で説得力のあるシーンに仕上がっている。
音楽は王室関係→クラシック、ダイアナの内面→モダンジャズとなっていて、このジャズと狂気の融合が、ドラマ『HOMELAND』を髣髴とさせた。
……映画を観終えるまで、ぜんぜん気が付かなかったけれど、監督は『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』の人だった。『ジャッキー』もまた、伝記映画だと思って観るとぜんぜん違うのだけど、それ以上にジャクリーン・ケネディの内面をフィクションとして描ききる映画で私は気に入っている作品のひとつ。それを知ってから、演出に妙に得心がいった。この作品も、役割=個人のあいだでゆれうごく感情を描くドラマだった。

ラスト、子どもたちとオープンカーに乗り込み、サリー・ホーキンス演じるマギーからの手紙を見たあと、城を脱出して走りだし、ラジオから聴こえるUK-Rock(=ポピュラー・ミュージック)のMike & The Mechanics「All I Need Is A Miracle」を3人で熱唱しながらドライブ、ケンタッキー・フライド・チキンを食べる……ダイアナの「正気」とはなにかを示す、これ以上ない完璧なシークエンス! ここに、今作がドキュメンタリーや伝記モノではなく、「フィクション」としてダイアナの内面に迫るのだという意気込みが象徴されていた。
わたしたちは皆、何年かのちにダイアナが事故死してしまうことを知っている。だから、このあとのダイアナの生涯もまた悲劇と言えるのかもしれない。しかしながら、王室を出ることを決めたその瞬間に、ダイアナはダイアナ自身の生涯を取り戻すことができたのだと、今作は描く。そしてそれこそが本作の没後25年を迎えたダイアナへの手向けなのである。
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