東京国際ろう映画祭 2021
■今村監督自身もろう者であり、津波警報が聞こえない
東日本大震災直後から今村監督は宮城を訪れてカメラを回し始めた。
大きな余震はまだ頻発していて、映画の冒頭、町の人をインタビューしてる最中にも震度6の地震が発生。
直後、津波警報が鳴る。
今村監督自身もろう者であり、津波警報が聞こえない。
そばにいた他のスタッフから教えてもらい車に乗って避難。
映画はこのシーンからスタートする。
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■3.11でのろう・難聴者の過酷さ
宮城県のろう・難聴者は約6000人。
障害者の死亡率は障害のない人の2倍。
「津波の警報が鳴っていた。私は全く聞こえなかった。揺れが収まったら大丈夫だと思っていた。」
「津波警報が鳴っても全く聞こえない。」
避難所にて
「水があります。薬があります。食事の配給の情報が遅れる。周りの人たちが立ち上がったら立ち上がりついていく。常に周囲に気を配っている。」
「避難所に手話通訳の設置が必要」
避難所でも、必要なアナウンスは音声のみで行われることが多く、ろう者は情報を得られず、不安とストレスが増す。
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今からだと信じられないんだけど昔は、手話は言語として認められていなかったので、
ろう学校で手話教育が禁じられていて、
高齢者の中には十分に教育を受けられなかった方もおり、
中には日本語の読み書きが厳しい方もいる。
音声として聞こえない言語を文字だけで習得するのは本当に難しいことだと思います。
「罹災証明書をもらったけど意味がわからない。」
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手話言語条例を制定する自治体が増えている。
手話を言語の一つと認定し
手話「を」学習する機会を保証し
手話「で」学習機会を保証し
手話で情報を獲得する機会を保障する条例。
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■2016年の熊本地震
2016年の熊本地震では避難所に、
ろう者・難聴者への案内のポスターが貼られ、
手話通訳や筆談などのアクセスがしやすくなった。
東日本大地震の時には見られなかったこと。
■2018年の西日本豪雨
2018年の西日本豪雨のときには、
ろう者・難聴者のボランティアが大勢集まった。
広島ろうあ連盟「ろう者は体は元気。会話ができないだけなのでボランティアセンターを立ち上げれば大勢きてくれるだろうと」広島ろうあ連盟はボランティアセンターを設置。
全国初。
「私が難聴だと言うと断られたことがあって、今回参加できてよかった」
「助けたいと自然な気持ちがわきました。みんなで協力して土砂が少しずつなくなっていきました。」
延べ383名のろう者・難聴者が107日間ボランティア活動をした。
■2020年新型コロナウイルス
休業要請のあった理容室の男性が手話通訳者の同伴で役所に支援金の申し込みに行く。
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聾学校では口話教育が基本で手話は禁止されていた。
(手話は下等な言語とされていて、いかに健常者の中に溶け込むかが教育の目的だったよう)
口話教育に時間が割かれ、中1で小4の教科書、高3でやっと中3の半分までしか受けられなかった。
■手話言語条例
映画の終わりでは「宮城では手話言語条例がまだ制定されていない。」と出るが、
『きこえなかったあの日』公開翌月の2021年3月、
宮城県で手話言語条例制定決定。