ニューランド

偶然と想像のニューランドのレビュー・感想・評価

偶然と想像(2021年製作の映画)
3.9
☑️『偶然と想像』(3.9p) 及び『空白』(3.2p)『blue』(3.1p)▶️▶️
『ドライブ~』をやっと観たのは9月下旬だったが、その映画的な、完成度と別世界突入度に、日本を越えて世界の本年度ベストに挙げられるだろうと即座に分かった。只3時間中休憩かないとは思わず、中程で館外に飛び出したが、劇場の近くにトイレがなく(シネコンのせい?)探して5分位ロスしたので、感想は書き始めたが途中で止めて、全編をいつか見直して書くべきとした。しかし、立派だが特に好きでもなく、未だ見直してない。
『ドライブ~』と並んで本作は、世界の主だった今年のベストテンの、1作家で二つの席を確保している。この作家の生涯最大の当たり年なのだろう。私はたいして浜口のファンと云うわけでもなく其れほど観てないが、『ドライブ~』と『親密さ』という紛れもない傑作に次いで、本作も堂々たるとは言いがたいが傑作と呼び得ると、観終わって感動した。ホンサンス(とはいえ、2⋅3話に於ける2度のズームインは似て非なる使い方だ)⋅大林(秘め納めた想いと、クラシック伴走)⋅小津(台詞廻しの不可思議に難なく移行)⋅ロメール(典型、から少し外れた若年~中年の語り入り込む妙)⋅Wアレン(皮肉な劇的復讐達成)らに似てるがとても彼らの上位作には及ばない、辿々しさ。しかし、この作家の殆んど全作(いや、たいして観てないが)に共通し⋅独自の力を与えている、「演劇性」がここでも素晴らしい呪縛と解放力をもたらして、フィルムというよりもろビデオと言いたい薄っぺらく雑で逐次的なルックとデクパージュ(大L俯瞰やドア辺縦図、エスカレータすれ違い等もあるが。逐次半端切返しもいい)に係わらず、只読み上げてるようなベタな台詞廻し・あり得ないような偶然と勘違いのまんま推し進め押し切りを、可能⋅観てて共感や微笑ましさを感じるまでに、全てを引き込み面白がらせ得る渦巻きに変え得ている。あくまで軽く日常的で、嘘っぽさも気にならない磁力に変わっている。編中の魔法と総称したいが、そんなにフワフワしたものでもなく、多分に下世話⋅冷静に考えるとまともに取り合いたくない作ではある。脚本担当の昨年の『スパイ~』でも無茶苦茶な歴史解釈だったが、映画となると日本に近代演劇~新劇が入ってきた頃の真新しい感動が今に甦った。
1話の「相手を傷つける事で自分の側も傷を意識してゆく。それだけ好きな相手を、幸せと真反対にしか出来ないサガを自覚」、2話の「誰もが留まらない所に、ズレたままで居続けてくれることの、本人が嫌われて孤立と自覚の反対の、孤高に通ず価値」、3話の「最愛の相手の裏切りを決めつけ、問い直さなかった悔い」「取り澄まし毅然とした誰もが近付かない所に、只1人踏み込んでくれた有り難さ」が、殆んどあり得ない、①親友2人の⋅各々の余りに至福で怖くさえある出逢い⋅忘れられない恋愛恐怖が残った、程の恋愛対象が同一人物で、未だ知らずの1人をおいて狂おしい駆引のスタート②芥川賞作家となった教授に、恨み持つセフレの圧力で、色仕掛けで近づく夫子持ち年配女学生が、逆に教授の世間ズレ⋅孤高に通じてしまうも⋅⋅、③ネット崩壊旧社会戻りのSFと見えて、仙台に20年ぶりに高校同窓会で戻った女が帰途⋅未出席の親友(=恋人)に感激の偶然再会、が互いに大事な人を間違えていた、らの話の、中から人が生きている⋅生きてゆける、想いの背骨を見いだしてく、軽薄⋅微笑まし⋅馬鹿馬鹿しを越えたコメディ。欠陥を顕わにしても、隠さない作劇が、結果心地いい(なんやこれとも思ってたが、第3話にいたり全て払拭される)。
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吉田恵輔は『ヒメアノ~ル』の気色悪さに辟易して以来敬遠してきたが、Sight~・~Comment・~シネフィル~と並び気にはなるベストテンの、ヨコハマ~で観る限り、浜口や土井と並んで当たり年だったらしい。今月に入り『blue』『空白』をネットやレンタルビデオで流して観たが、印象がうって変わり、映画⋅その表す世界現実感が、極めて心地いい。映画であるを感じさせない、真の映画的スタイル⋅呼吸がある(『ヒア~』もスタイルはそうだったと思い出す)。浜口の無理やりの演劇的構築感がなく、まさに観客と程よい距離⋅親密感を保ってた、スタジオ黄金時代の本流を少しはみ出た意欲作の復活のかんじ。手持ちカメラで適度の臨場感を保ち、アップの挟み角度やスピード感転じも鮮やか、キャラの編中での成熟度⋅他者との係わりや距離の計り変化が見事で、各レベルで向かう試合の位置や・不意に曖昧だったも関係性が中断か彰かになってく事故の置き方がよく、ボクシング(ジム)とスポーツ感(体内化)・漁とスーパーと家庭や学校やマスコミが、うまく配されてる。しかし、内に内に軋轢を避けて縮こまり変な出発点に戻るようで、括りが波風立たせない半端、真の意味で社会と向き合う⋅闘う力は、やはり欠除の印象が残る。