ニューランド

イントロダクションのニューランドのレビュー・感想・評価

イントロダクション(2020年製作の映画)
3.7
✔『イントロダクション』(3.7p)および『あなたの顔の前に』(3.9p)▶️▶️

 洪の映画を特に熱心に観てるわけでもないが、この20年間、『オー!スジョン』から始まり、『浜辺の女』『アヴァンチュールはパリで』で本格化した熱狂は、表面は鎮まり別次元へも向こうとしている。
 今回、併映のその次作も併せ、韓国人て親しい挨拶として、あんなにしっかりと抱擁し·相手に親近感と好意を伝えるんだ、と日本人より欧米人にそこは近いのかなとも思い、また、一歳でも年上なら社会的地位を離れ「先輩、先輩」と立てるのは、よく見てたけど、日本語に近いややこしくもある敬語が罷り通ってる事を知った。抱擁だって、儀礼の欧米より、祖父母が孫に普通にする日本のに近いのかもしれない。よく笑い、感情表現が素直でまたそれは、打ち明けることで自分の立場を卑下·自重してる事でもある。その表裏の·まだもうひと押し含みを隠し持ってる事も、表し方は違うが日本人とやはりどこか近い。近年のこの作家の作は、デジタルになって更に撮り方がストレートになったこともあり、仮に時や事実の確認·誤認が混ぜてあっても、作品というより本当にこっちと地続きを、感じるだけになってきてる。
 別れて暮らしてる韓方医の父の医院に呼ばれ·待ちぼうけをくう間に、子供の頃家族同然だった看護師と不思議で暖かい旧交を暖める主人公の青年。急に訪ねてきた名演劇俳優への検査のためか、自身の健康の事か、思い詰めて対息子の事遅れ、また晴れない父。
 衣装の勉強の為にドイツに留学に、母と訪れ、画家に転じて成功しつつも寂し隠せない旧知のアーチストに預けられる、青年の恋人。青年は一日遅れで追ってきていて、僕もここにと楽観的。
 浜辺滞在の母に呼ばれた青年が、(演技者)友達の車で向かうと、俳優をやめんとしてる彼に、俳優を目指すきっかけの(父の医院にいた、あの)名優が待っている。恋人の無言の哀しさに「罪の意識」を感じ、ウソで愛を表現する俳優は無理に言うへ、「ウソ·演技であろうと、抱擁が表現する愛は、同じ」とに逆に叱りつけられる。 
 その後、浜辺でドイツで得た夫から離れ、難病に恋人が入水自殺せんとしてるに、再会·救い、和ませる。いつも、ニュートラルに戻す再会に、彼との運命を云う恋人。
 しかし、それは夢の世界の事。心配してきた俳優仲間の前で海へ入ってくも、引き戻され、変らぬ仲を愉しみ、遠いホテルから観ているらしい母との不思議なあり方も思う。
 誰もが明示しないが、皆が傷や闇をもってるらしく、時の経過明示や縁の契機は省かれてて、後の心持ちしかわからない。しかし、それは懐かしく、心当たりあり、節目の回想·夢·思い込み·和みだけがその場に滲み出してくる。様々な本人に役立たぬ思い立ちや、親しい者への提言が流れ着き、当る。また、チョイ出のキム·ミニの役の経歴が恋人と被ったり、天候が急に変わったり、普通考えれば混乱を極めるが逆にすっきりするへはたらいてる。人生や周囲の始末を図ろうとする親世代、見知らぬ世界へ純粋に向かい衝動にも走る若い世代、彼らが成長し汚れ疲れ·絶望に瞬間嵌る時。その段差は、作品の流れを分断し、それぞれのパートは明確に誤魔化し無く存在しあってる、かたちへ。
 ズームやパンも流れてる途中には介入せず、序終や途切れに挟まり、身体部位の脚の追いの対応だけの·構図も合わせ、濁りが少ない。
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 再見の『あなた~』は逆に、1人の思いがけず人生の最終盤にいる事知らされた·それに抗わず寧ろ静かに受入れることを決めた女性の主観と·他者や世界との感触を又客体化する、幾許かの未練がたゆとう、多義的で表現の表裏が常に感じられる作品で、「夢」の中の括り構造感覚、肉親や世界への認識の「(互いに)何も知らない」辛さ·諦め·同時に今更の発見、「本当の世の中の美しさの思いがけぬ発見。時を置いて、未来が消え·過去も助けにならず、只見える顔の前だけの完璧な世界をみつけ、そこに神の恩寵·それへの感謝の、今だけを生きてる感覚を得た」上位概念への意識、らを認識させられながら、母の死から関係も断ち気味だった、故郷に、自分の出自·本来の周囲に触れ直す為、そして三十年前に拘り·最も自分の存在と同化出来る映画の話しに惹かれ、米国移住より(近い将来の死迄の)帰国の、元女優の、覚束ず、たぐり寄せる現世の感覚への戻しには·その媒体の相手の感情を揺らしだし·自らの感慨とその振り幅に思わず笑いが張り付いてく、帰国まもない時点の1日の私小説的叙述。それを際立てる余命の切出しや、性愛のほじくり甦らせは、敢えて安っぽくし、長編構想からホームムービー的短編への切替え発想の高揚も、一晩明ければ醒めてて、1人大笑いとなる。マンションからの視界や、公園散歩や、小さな『小説』という半閉鎖カフェでの監督とのトゥショット·長大シーケンスも、望遠効果との行き来や·前後何段もの囲み変えての、ズームの音楽も絡めた、雰囲気主体のタッチは、制御·節度が押さえ美しく調整し純粋単純に飾り付け、ひとりの心のヒダに分け入ろうとしている。それは、構成の妙よりも、ファンとして偶像として信頼する女優=女性=1人の人間眼前に、自己を同一化する作業である。また、この女優さんのお父さん、韓国最大の映画監督のひとり、イ·マニの事を見据えてるのか。
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