叡福寺清子

白い牛のバラッドの叡福寺清子のレビュー・感想・評価

白い牛のバラッド(2020年製作の映画)
4.2
あたくしこう見えてシステムというものが好きでして,これはこう,それはそれと方程式のような社会活動は分かりやすくて何より楽です.落語だってこうこうこういう稽古すりゃ上手くなるからやってごらんって言われて,ホントに上手になればこんな楽なことはございませんです.だけど,これが全くもって難しい.おんなじ話してるのにウケる時とそうでない時がある.客と小屋の雰囲気を察して,ちょっとした工夫してみても,何が正解なのか未だにわかりません.たぶん一生わかんねぇんだと思います.だからわかりやすいシステムというのが好ましいのでしょう.

法と捜査の不備で冤罪だったけど死刑にしちゃった時の国家賠償は2億7千万トマンねって.このシステムに対して杓子定規とか機械的とか血が通っていないと批判される方々もいらっしゃいましょう.ではどうすればよかったのか.目には目をで,捜査が不十分だった警察官を,容疑者を詰問した判事を,死刑判決した裁判官を死刑にすればよろしいか?それで社会は成立しますかしら.
そもそも本作の肝はそんなことじゃないでしょう.ミナさんは判事に謝罪を求めていただけ,夫の名誉のために.むしろ憤るのは「神の思し召し」と過ちを正すことなく,神に責任を被せるシステムではございませんか.と同時に,家族以外の男性を家に招き入れただけで借家を追い出される,そして未亡人には家を貸さない女尊社会でしょう.

本作視聴後,あれはどういう意味だったのだろう,そもそも白い牛はなんの比喩だったのかしらとあれこれ頭を悩ませておりましたら,耳元でですね,李小龍先生が囁かれたのです.あの台詞を.私目から鱗が358枚落ちました.そや,その通りや.そもそも中東に対して無知に近い私が考えてもしょうがないんだから観た時の心持ちをいいんじゃねの,と.つまりですね,ミナさんとビタちゃんに幸あれ,でございます.
ありがとうございました,李小龍先生.