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ボーはおそれているのnodokaのネタバレレビュー・内容・結末

ボーはおそれている(2023年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます


一番恐れていたものは「最後の審判」

なぜそれを恐れているのか
なぜ179分という長すぎる上映時間なのか

ボーの精神世界
この映画の一つの見方としてこういうことなのかな?と思ったこと、感想を書いていきます。

この映画は絶え間なく、あらゆる衝撃的な恐ろしいことが起きていくが、しかし、ぼーは恐れながらも、ある種、その事象を望んでいたのかもしれないとも私は考えます。
これは単に、主人公が統合失調症の幻覚や幻聴をずっと見ているという内容の映画ではありません。

冒頭、鍵を盗まれフライトに間に合わないというシーン。これは寝坊して遅刻したことへの言い訳にできる。自分を被害者にすることで寝坊をしたという罪に問われることを避けられる、
免罪符にできると心の隅で思っていたのです。
ボーは被害者でいることに安心しているように感じました。

ボーは母親に責められること、他人に怒られることをかなり嫌ってるように思います。
女性のヒステリーは男性には理解できないので。
ボーの子供の頃に母親が「女性のことは女性にしかわからない。男はなにもわかってない。」と言われてたw

薬を水なしで飲んでしまい、慌てて家中の蛇口を捻るが水が出ないことも、その時に起こってしまった、“避けられない緊急事態”により問題(母の元へ行かなくてはいけないこと)をどんどん後回しにしているように見えた。
(私は学生の頃かなり厳しい学習塾に通っており、塾に行くのが本当に嫌で、送ってもらう車の中で今事故が起きないか、自分が大きめの病気にならないかなどそんな恐ろしいことを考えていました)

実家に着くまでの寄り道も、一つの場所にとどまることができない、どれも逃げ出しています。まるで被害者であるように、その場所から離れる事件を望んでいたかのように。
どの場所でも誰かが助けてくれて、優しくしてくれるけど、自分がそこにとどまることはできないのです。

ボーは、日々、毎日、朝目覚めてから夜眠りにつくまでずーっとそうやって(全てを誰かや、周りで起きた事件のせいにしていること)生きていることを後ろめたく、罪悪感を持っているため、この映画を見ている我々同様心が休まる瞬間がない。
自分で何かを決めること責任を持つことができない。(ヒステリックな母親を持つ子供あるある)
ボーは常に、誰かにそれがバレるのではないか、最後の審判で全てを暴かれるのではないかを極度に恐れており、私たちはその恐怖を共に体験させられてしまった。
運や神秘的な事象に頼ってしまう弱い人間の精神を、濃密に3時間の長い上映時間に詰め込まれてしまった。
でもその3時間よりはるかに長い、永遠の時間をボーは生きていて、ボーのような人間が実はいるんだということを、アリアスター監督は、ただの同じ恐怖体験だけじゃなく、気が狂いそうになる途方のない人生という時間を3時間という長い上映時間で表現したのではないか。
ボーのような人間にはこれは私の映画だと思えて、そうじゃない人たちにとっては全くの理解不能。
ただ、それだけの映画だと私は感じました。

余談:カメラでずっと見られてるところや、終盤水の上で一人でボートに乗っているところがジムキャリーの「トゥルーマンショー」と似てると思ったのは私だけじゃないはず
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