馬宮

ボーはおそれているの馬宮のレビュー・感想・評価

ボーはおそれている(2023年製作の映画)
4.0
孤独と、精神と、疾患と、毒親の話だった。
本質的に境遇として共感『してしまう』人は悲しいことに多いだろうが、共感すると不幸になるタイプの映画だし、まあそも共感に要する解像度のレベルが高く必要だからいいんだろうが。このくらいで……、……、

この映画は毒親を持っていたり、精神的に揺らぎがある(あった/経験した)人、あるいはまあストレートにいうがADHDの傾向がある人のほうが恐らく「ああわかる」になることが多いのだと思うが、監督がこれを「嫌な気持ちになってほしい!」と言う趣向で作っている以上、基本的にはそれに対する救いがないようにできている気がする。

アリ・アスターはボーに共感してほしいとか言っているらしいが、ホントにこれ共感してほしいと思って作ってんのか???
が、確かにボーの悪夢のような体験と孤立した境遇に心を寄せたほうが確かにより『いやなきもち』には成れる映画である。


ボーはぱっと作品を流して鑑賞しただけでも、強い不安障害とADHD(注意欠陥)、そして親に対する脅迫観念……を持っている。
あらゆることが悪夢のような事象の連続で、これが幻覚なのか、それとも現実なのか、正直判別がつかない。
判別は着かなくて当然なんだろうと思う。ボーが知覚している世界というのは「これくらい恐ろしい」ということなのであるからして。

作品中、『親子/家族』というものが徹頭徹尾良いものとして書かれない。アリ・アスターくんはそういうのがポリシーだもんね……。
抑圧されるボー、息子の死でヒステリックになったグレース、両親に蔑ろにされていると感じる娘(名前忘れた)、ろくでなしの両親を持つエレイン。……愛情を得られなかったボーの母親。

ボーは『水』に強く関連する。
ボーの恐れの多くは『水』に由来していて、映画のスタートが羊水にまみれて出てくることから、この『水』は母親を意味しているのだと思う。怖い水、けれど無いと生きていけない水、憎み、憎悪し、恐れ、それでも無いと生きていけない『母親』という存在にボーは作中ずっと縛られている。


芝居劇のシーン!! オオカミの家を観ているからわかる!!
このアニメーションの雰囲気はレオン&コシーニャ!!!!!! となって大変嬉しかった。ほんとに一瞬で解るな。意図的に人形の仮面などは《骨》に寄せたんだろうか。すごい雰囲気があって良かった。悪夢の中の劇中劇って感じで。


ラストシークエンスまでま~じでずっ~~~と後味が悪い。
ようやく母親から解放されたと思っても、それは解放ではない。なんの解決にもならず、後味は最悪のまま物語は幕を閉じる。なんなら、観客をそのままメタ的に『観客』にして終わるからなおタチが悪い。
(このへんオオカミの家&骨のメタ感と少し毛色が似てて個人的に好きでしたが)

マジで嘘偽りなく悪夢みたいに後味の悪い映画だし、意味がわからん人にはミリも意味がわからん上気持ち悪い映画なんだと思う。そして意味がわかる人間が高尚なわけでもない。

最後の最後だからいうけど、あの男根モンスターはなんなんだろうな。
多分『怖い』ことの抽象化であるんだと思うんだけど……何?

腹上死してもそうはならんやろ!!!!!!!! とツッコミたくなるとことか、男根モンスター(男根モンスター)とか、変に笑えるコメディリリーフじみた表現を真剣にやっているほうが怖い。というのはへレディタリーとかにも通じる。アリ・アスターだなと思いました。
馬宮

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