このレビューはネタバレを含みます
ゲゲゲの謎めちゃくちゃおもしろかった〜!
2023年に観た中でもかなり上位に入る良作。
「ダーク」という言葉では軽すぎるくらい人間の愚かさ・醜悪さを見せつけてくるストーリーの中に、たしかに人間の存在に対する強い肯定や未来への希望が詰まった作品だった。
ストーリーももちろんだけど、何より秀逸だと思うのは隔絶された時代性をテーマに据えたところ。
普段の鬼太郎シリーズは、主に「妖怪か、人間か」という二元論的なストーリー展開が多いように思う。
「妖怪が事件を起こす、実はそれは人間に原因があり、鬼太郎は人間を断罪する」
「人間が事件を起こす、裏で操っていたのは妖怪だった、鬼太郎は妖怪を退治する」
……こういったやりとりの中で相互理解や、フェアで広い視野を持つことの大切さを物語で楽しめるシリーズだと思う。
(6期中盤の百鬼夜行の長編エピソードはこれらの集大成で、めちゃくちゃ見応えあった)。
ただ今回は鬼太郎が主役ではなく、「妖怪と人間」の対比や対立はほとんど描かれていない。
だからこそ親父と水木は相棒だし、沙代は自分の意志で妖怪と同化していた。
ではその中で、何を主眼においているのかというと、「今では隔絶された時代に何を思うか」ということではないかと思う。
冒頭から時代性を感じるシーンがいくつも紹介される。
列車で咳をする子どもの隣でたばこを吸う大人たち。
強い権力を持つ財閥。
跡取り問題で起こる揉み合い。
男は目一杯働いて他人を蹴落としてでも這い上がることが至上命題とされ、反面女は社会進出さえままならない。
加えて、主人公の水木はストーリー開始時点では、社会の無情さに打ちひしがれた結果、強い出世欲を持っている人物として描かれている。
こういった、今ではとてもではないが憚られる生活の様子がさも当然のこととして描かれていて、時代性を強く意識させられる。
この時代性は、
水木を通して描かれる、利己的で醜悪な価値観から脱却する成長物語、
沙代やトキちゃん、狂骨に成り果てた幽霊族のように、狂乱の時代の中で虐げられた人々が確実に存在していた、という事実、
ゲゲ郎と水木、ゲゲ郎と妻の関係を通じて描かれる、時代を超えて続く普遍的な友情や家族の物語
……など、複数のラインできちんとキャラクターたちのドラマに落とし込んであって、とても見応えがある。
それらが収斂するラストはハイライトが目白押し。
強い怨みとなった祖先の霊たちが、新しい命に呼応して霊毛ちゃんちゃんこを作り出すシーン。
過去を忘れてしまった水木が、それでもなお「なぜこんなにも悲しいのだ」と打ちひしがれるシーン。
最後の狂骨となったトキちゃんの「忘れないで」という願い。
鬼太郎誕生へと続くエンドクレジット。
まじで全部泣ける。
過去とは、虐げられた人々にとっては簡単に忘れられるものではないし、無責任に忘れてはいけないもの。
ただ、怨みや復讐にとらわれるのではなく、新しい命や次の世代のためにできることをする、それこそが過去と本当の意味で決別することに繋がる。
暗く救いがないストーリーの中で紡がれる、普遍的で強い希望のメッセージは、それだけでカタルシスがあって、とにかくめちゃくちゃ感動した。
直前に『狂骨の夢』を再読してたり、『魍魎の匣』のアニメを観てたのもあるけど、京極堂シリーズと関連していろいろ考えながら観れて、タイミングがよかった。
(メインが狂骨だし、水木の声優の木内さんは関口の声も演じてるし、墓場鬼太郎では京極先生も出演されてるし、少なからず狙ってる部分も多いのでは)。
急激に近代化して世間が浮き足立ってる一方で、古い因習や土着的な何かもしっかり存在してて、なおかつみんな戦争で傷ついてる、そういう慌ただしくて常識が揺らいでる社会と「妖怪/憑き物」は相性がとても良いんだろうな。
そういう意味でも時代性が強く印象に残った作品だった。
おもしろかった!