佐藤備忘録

うみべの女の子の佐藤備忘録のネタバレレビュー・内容・結末

うみべの女の子(2021年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

以下、オナニー文章なので見ないで。

「真理」、というか自分なりのひとつの正解を求めたい本能が俺たちにはあるんだろう。

磯辺は佐藤のことを「いつか俺のことなんて忘れてまるで初めてみたいな感じで別の男とセックスする」的に評してたけど、これはあの時の磯辺みたいな弱くて情けなくて頭でっかちなガキンチョにありがちな思想というか、女を好きなはずなのに女のことがどこか嫌いっていう、ある種のミソジニーが根底にある発言だと思う。それこそTwitterで自称弱者男性のサブカルオタク君が運営してるアカウントを覗けば似たようなツイートがたくさん見つかるはず。

この時、彼ら、というか俺たち男(バカでか主語)は「女(バカでか主語)は全員ビッチで俺のことなんてろくに見てくれてなくて気づいたらすぐ別の男のところに行っちゃう」みたいなことを考えてると思う。多分磯辺のTwitter見たらそういうツイートがある。

というか浅野いにおってそういうモノだと思うし。

このバカでか主語現象って別にミソジニーに限らず古今東西あらゆるところで発見されるものだと思うんだけど、なぜ俺たちはこんな過度な一般化をしてしまうのか。

男は女のことをビッチだと思ってる、じゃなくて鑑賞者の俺と俺から見た磯辺の両名は心のどこか奥底で女のことをビッチだと思ってる、が正しいはずなのに。なぜか俺たちは個別化に終始せず敷衍してしまう。

なんでそんな一般化をしてしまうかって言うと、俺たちはまず他者の合理性と自分の合理性がすり合わせ可能だと信じていて、かつ、普遍的に通用する「真理」みたいなものを生まれた時から探しているからじゃないかと。

こっから磯辺と佐藤にとっての「真理」とうまいこと噛み合わせたかったけど無理そうだしもういいや。

磯辺は嵐の後、自分にとっての光(そしてこれもまた女)を見つけたし、小梅も最後に海辺で期待してた幸せなキスを見つけた。磯辺が結局女に救われた(風に振る舞ってる)のはこれぞオスって感じで良い。これもまた一般化が背景にある感想。

鹿島とメガネコンビいいね。特に鹿島は性癖ぶっ壊れちゃいそうで興奮した。メガネ良いやつすぎ。

神は見返りの時も思ったけど、堕ち切ってからの再出発って時に邪魔が入る展開はやっぱ来るものがあるね。磯辺は最後拉致られて個人的報復喰らうかと思ってたからまだ警察なだけ良かったか。

風をあつめてがいいね。緑の歌の作者と浅野いにおの対談を昔読んだけど、このシーンのこと言ってたのか〜と気持ちよくなった。原作読まないと。でも原作読んでないけど再現度高いのはなんとなくわかる。小梅とか最初は演技ビミョいのかと思ったけど多分原作でもこんななんだろうな。

というか緑の歌、インスパイアされすぎだろ。性愛を親愛と信仰に変えた感じか。
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